(2006.6.18)


   

 

    

「重要伝統的建造物群保存地区」というのがあります。あんまり長くて舌をかみそうなので、略して「重伝建地区」、さらに略して「重伝建」、もっと略して「伝建」(!)と呼ばれています。


これは、昭和50年の文化財保護法の改正によって発足した制度で、城下町、宿場町、門前町、寺内町、港町、農漁村などのうち、周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成しているものについて、市町村の申請をもとに国(文化庁)が選定しています。


現在、全国で73地区が選定されていて、「有名どころ」では妻籠宿(長野)、嵯峨野(京都)、倉敷(岡山)、などがあり、
N's TOWNでも、角館(秋田/2005-9-11号)、佐原(千葉/2002-6-2号)、川越(埼玉/2006-3-12号)、白川郷(岐阜/2004-11-28号)、などを訪れました。


今回は、
N's TOWNとしては5番目の「重伝建地区」として、奈良県橿原(かしはら)市にある今井町を取材しましたのでご覧いただきます。
『今井町は当初は興福寺の荘園としてその支配下にあったが、戦国時代になって浄土真宗本願寺派の門徒勢が進出し稱念寺(今井御坊)を開いて寺内町化したもので、四囲に濠と土居を巡らし武力も養って城塞都市の形態を整えたが、織田信長以降は大坂や堺との交流を盛んにして商業都市へ変貌、江戸時代にはその財力から天領に指定される一方、交易や自治についての特権が付与され、「海の堺に陸の今井」と言われるほどの隆盛をみました。』

……と、今井町の来歴について200字ちょうどでまとめてみました(笑)。ちなみに、今井町は平成5年に重伝建地区に選定されています。さて、「ウンチク」はこれくらいにして、お叱りを受けないうちに先へ進ませていただきます。

下の写真は「華甍(はないらか)」といって、現在は今井町を訪れる観光客のためのビジターセンターになっていますが、昭和初期から約30年間今井町役場として使用されていた建物で、奈良県の文化財に指定されています。

華甍ではボランティアの方(緑の制服)から町の説明を聞くことができます。また、ボランティアの方は町内の案内もしていただけます。

取材した日はちょうど六斎市が開かれていて朝早くから大変な賑わいを見せていました。六斎市というのは室町時代から江戸時代にかけて、1ヵ月に6回開かれた定期市のことで、今も各地にその名残りをみることができますが、今井町では毎年5月の第3日曜日に開催されています。

また、この日は「茶行列」といって、今井町ゆかりの茶人・今井宗久を先頭に、信長・秀吉・利休など宗久有縁の人物に扮した人たちが町中を練り歩く催しもあります。

町中を進んでゆくと次々と豪壮な古民家が現れ、往時の繁栄ぶりが偲ばれます。なかでも、最大の規模を誇るのが今西家(下の写真)で、今井町で最も古い慶安3年(1650年)の建築です。入母屋作りの破風と外壁を白漆喰で塗り込めた建物は、城郭のような堂々とした構えでひときわ辺りを払っています。

今井町には今西家を含めて全部で9件の建造物が国の重要文化財の指定を受けているほか、指定されていない建物も伝統的な町屋様式に修築されていて、中世にタイムスリップしたような景観が続きます。時季を限って邸内も公開されていて、取材の日は首尾よく拝見することができました。

下の什器類は外居(ほかい−−難読ぅ!)といって、もともとは戦や布教などで他所へ移動する際、この中に食物や身の回りの品を入れて運んだのが始まりとされていますが、近世になると祭りや婚礼などの慶事に儀礼的な意味合いで使用されるようになりました。「ほっかい」とも読み、「行器」とも書きます。

写真のように黒漆塗りに家紋が入った円筒形の容器に4本の反り脚がついた形が一般で、明治以降には大名の婚礼を真似て、豪農たちも使用するようになったといわれています。当時の繁栄を今に伝える豪華な拵えです。

下の写真は台所の天井部分で通称「煙だし」といいます。台所といっても、昔は(右の写真のような)煙突もない「カマド」が土間に据え付けられていただけなので、家中に立ち込めた煙はここから屋外へ排出されました。

屋根裏の小屋組み構造の様子がよく分かりますが、(ご存じない方のために申し上げますが)実物の煙出しはこんなキレイなものではありません。実際は日々の炊事で立ち込めた煙と煤が、梁といわず壁といわず、さながら深海のヘドロのようにびっしりと堆積していました。

今井町は管理人の生家に近く、管理人自身こうした環境の中で育ちました。カマドも煙出しも、何から何までいつかどこかで見た景色そのものですが、それだけに映画の書割りのように小綺麗になってしまった町並みに、妙な違和感を禁じ得ません。

終戦後、農村部では「生活改善運動」という動きがあって、カマドも耐火タイル貼りで煙突付きの「改良カマド」が普及し、それも後年にはLPGのガスコンロが取って代る、といった具合に急速に「近代化」を果たしてきた様子を管理人の世代は自ら体験しています。

いま世の中が豊かになって、再び古い町並みを復元し大切にしてゆこうという気運が各地で盛り上がっているのは大変素晴らしいことですが、(今井町に限らず)古い町並みが整備されればされるほど、日常生活の匂いが希薄になっていくような気がするのは管理人だけでしょうか。

いくら綺麗に整備されても、そこは映画のセットではなく、実際に人が住み生活している場であることを考えると、「町並み保存」という名の下に、不自由と負担を強いられているかもしれない地元の方々を思い、保存と生活の折り合いにもう少し工夫の余地はないものかと考えてしまいます。


いつか見た既視感(
Deja vu)の世界が、しかし微妙に姿かたちを変えて目の前にある不思議さに、いささか方向感覚を失い、くどくどしい理屈をこねてしまいました。お目障りの方がおられましたらどうかお赦し願います。

下の写真は今井町の象徴ともいうべき今井山稱念寺で、本堂は国の重要文化財に指定されていますが、建物全体が向かって左へ傾き、倒壊防止の支柱で支えているという、「国宝級」の傷み様です。復元整備が進む町並みのなかで、ひときわ痛々しい荒廃ぶりではありますが、崩れた土塀に手付かずの時の流れを感じるのは穿ち過ぎでしょうか。

寺でも修築へ向けての勧進活動を進められていて、観光客の多い休日を中心に檀家の世話役の方々が境内で修復用の瓦の寄進(1枚2千円)を受け付けておられ、管理人も一口志納させていただきました。聞くところによると、平成23年から解体修理が始まるそうですが、何とかそれまでは大きな台風や地震がなく、無事落慶の日が迎えられることを願って已みません。

稱念寺太鼓楼 (橿原市指定文化財)