(2006.3.12)


   

 

      

川越街道は中山道の板橋宿から分岐していて、現在の中山道である国道17号から都営三田線の新板橋付近で分かれた細路は、東武東上線の大山駅の先で国道254号に合流し、ほぼ往時のルートを辿りながら川越に至っています。

川越のことを書くのに板橋まで戻るのもどうかと思いますが、かつて管理人は板橋に住んでいたことがあるので、私事ながらちょっと立ち寄らせていただきました。(笑)

その板橋から北西に約30キロ、埼玉県のほぼ中央に川越があります。昔から「九里(栗)四里(より)旨い十三里」といわれるように、江戸から約50キロ(13里)のこの一帯は、サツマイモの産地としても有名です。

江戸時代には幕閣や親藩が歴代藩主となって北の護りを固めたほか、春日局や3代将軍家光公ゆかりの地でもあり、徳川幕府との所縁浅からぬところから「小江戸」とよばれ発展してきました。

明治26年(1983年)3月の大火で市街地が全焼し、その経験を元に耐火建築である「蔵造り」の建物が多く建てられ、現在にまで残る趣のある街並みが出現しました。川越の蔵造りは、箱棟・大きな鬼瓦・重厚な観音扉が特徴で、平成11年12月に重要伝統的建造物群保存地区(文化庁)の指定を受けています。

蔵造りの町にひときわ高くそびえる建物が時の鐘です。江戸時代から川越のシンボルとして時を告げてきた鐘で、今も午前6時、正午、午後3時、午後6時の4回、鳴らされています。ちなみに、現在の建物は明治26年の大火の翌年に建てられたもので、上に昇ることはできません。

蔵造りの町並みと背中合わせにある「菓子屋横丁」です。かつては駄菓子の製造卸が集まっていたところで、最盛期には70軒ほどが軒を連ねていたそうですが、今は観光客の立ち寄りスポットといった格好です。