(2005.9.11)


   

 

  

  


「京都会議」というと1997年(平成7年)に開催された地球温暖化防止へ向けての国際会議ですが、実はもう一つ「全国京都会議」というのがあって、こちらは全国の「小京都」を名乗る市町村が、イメージアップや観光客の増加を目的に、1985年(昭和60年)に結成されたものです。

それによると、「小京都」といわれる町は、北海道の松前町から鹿児島県の知覧町まで全国に54市町村もあるそうですが、今回はそのうち「北海道東北ブロック」を代表して(?)角館町(秋田県)をご紹介します。

角館は秋田県のほぼ中央部に位置し、三方を小高い山に囲まれた町の西側を桧木内川(ひのきないがわ)が南流する静かな城下町で、江戸時代に秋田藩の支藩として町並みの整備が進み、今日の姿になったそうです。
町は武家屋敷が連なる一角と商家が軒を並べる一角とが判然と区分けされていて、藩政時代の町割りを今もそのまま見ることができます。なかでも、町の北側に位置する武家町は、鬱蒼とした木立と重厚感たっぷりの黒板塀が往時の姿を今に伝えています。

角館のこうした景観を利用して映画・テレビやCMの撮影が数多く行われていて、町の方でもいわゆる「フィルムコミッション」を組織して、ロケの誘致を積極的に展開しているそうです。有名なところでは「たそがれ清兵衛」(2002年)や「隠し剣 鬼の爪」(2004年)などがあります。いずれも、原作が藤沢周平であることから、角館がその舞台に選ばれたのも、ごく自然の成り行きのように思えます。また、この他にも「釣りバカ日誌」が前作の第15話(2004年)で角館を訪れています。

いくつかの武家屋敷は公開(一部有料)されていて、その内部を拝見することができます。下の写真は、現存する武家屋敷の中で最も古い「石黒家」です。石黒家は角館の領主として11代200余年にわたりこの地を支配した佐竹北家の用人で、財政面の要職を歴任した家格の高い家柄です。

建物の建築は18〜19世紀頃と推定され、簡素な佇まいのなかにも武家の格式を伺うことができます。ちなみに、公開されているのは建物の一部で、その奥では12代当主とそのご家族が今も生活されています。また、邸内の一角には昔の民具なども展示されていて、管理人の実家にもあるような、懐かしい農具(右写真)も見かけました。ちなみに、これは唐箕(とうみ)といって、風力を利用して米と籾殻(もみがら)を選別する器械です。
下の写真は石黒家の南隣にある「青柳家」です。青柳家も代々「納戸役」を勤めた格式の高い家柄で、現在は「角館歴史村」と称して邸内の屋敷や蔵を改装した施設に、当時の装束や武具甲冑から民具に至るまで、ありとあらゆるものが展示・公開されています。写真左下隅に見える石は、当時、馬の乗り降りの際に踏み台(石)として使われたものだそうです。

下の写真は「西宮家」です。西宮家は佐竹家臣団の中核として、また明治大正時代には一帯の地主として繁栄した家柄で、当時に建てられた母屋と5棟の蔵を改造して、その文化遺産を展示するとともに、地元産品の物産館やレストランとして営業されています。

商家が並ぶ一角には、下の写真のような蔵づくりの薬局が今なお現役で営業中ですが、「その存在自体が営業」とお見受けしました。

右の写真は店先に懸かっている「ノーシン(頭痛薬)」の看板(!)です。

黒板塀越しに大通りへ木陰を差し掛けているのが有名な枝垂れ桜です。その数400本余り、なかには樹齢300年を超すものもあって、一部は国の天然記念物に指定されています。桜の時期は80万人の観光客で賑わうそうです。参考までに、角館町のHPから(無断)拝借した写真を右に掲載しておきます。

帰途、更に欲張って平泉(中尊寺&毛越寺)へ立ち寄りました。下の写真は中尊寺の(ご存知)金色堂(国宝)と経蔵(重文)です。写真の建物は風雨から金色堂を護るための「覆堂」という建物で、金色堂本体はこの中にあります(撮影禁止)。覆堂は1962年(昭和37年)の大修理の際に新築された鉄筋コンクリート製で、鎌倉時代の建造といわれる木造の旧覆堂(重文)も、隣地に移築・保存されています。

下の写真は金堂の近くに建つ経蔵で、いわゆる「中尊寺経」(国宝)と称される紺地に金泥・銀泥で書かれた一切経が収められていた建物です。経蔵自体も重文に指定されていて、紅葉に包まれた秋景はさぞかしと見事と思われました。