(2004.11.28)


   

 

 

 

香嵐渓(こうらんけい)の紅葉林はその数と密度ではおそらく日本一といわれ、予てから一度は訪れたいと思っていたのですが、愛知県の岡崎からさらに1時間(渋滞時は2〜3時間)という、管理人にとっては「所轄外」の遠方にあるため、今まで二の足を踏んできました。

今回、家人の手引きでクラブツーリズム催行のツアーに参加し、念願の香嵐渓に加えて、奥美濃の小京都といわれる郡上八幡と、世界文化遺産に登録された白川郷の合掌造りを訪ねる機会を得たので、「三河・奥美濃紀行」と題してご覧いただきます。

香嵐渓のある愛知県東加茂郡足助町(あすけちょう)は岡崎市の北東に位置し、長野・岐阜との県境にも近く、古くから交通の要衝として栄え、今も当時の面影を残す古い町並みが中心部に残っています。

その足助町の中心部、飯盛山の山裾を巻くように巴川が弧を描く一帯が香嵐渓で、1634年(寛永11年)、近くにある香積寺(こうじゃくじ)の住職が巴川畔からカエデを移植したのが始まりといわれています。

いわば人の手になる紅葉林で、自然のそれとは自ずから趣を異にしますが、これだけ密生している木々が一斉に紅葉するとさぞかし見事と思われますが、この辺りはよほど温暖の地とみえて、11月も下旬というのに半分以上の木はまだ青々としていました。残念。
郡上八幡は長良川の上流に位置する城下町で奥美濃の小京都と呼ばれています。古い城下町の面影を今も残す町並み、町中を縦横に流れる清流、町のどこからも仰ぎ見ることができる山城、などの味わい深い佇まいは、全国に数ある「小京都」のなかでも五つ星クラスではないでしょうか。

とくに、喧噪と人ごみの香嵐渓を見たあとだけに、清流が響く山あいの城下町はとても新鮮でした。惜しむらくはツアー旅のため、滞在時間がわずか1時間(!)という強行軍で、文字通り駆け足になってしまったので、ぜひ機会をつくって再訪したいと思っています。


袖壁と紅殻格子の民家が美しく建ち並び、何ともいえない風情があります。下の写真のお店は1477年(文明9年)創業(!)の老舗菓子店で、昔懐かしいニッキ飴の肉桂玉[にっけいだま]が有名です。



町のいたるところに水が引かれていて「水舟」と呼ばれる用水施設を見ることができます。水舟は上段は飲用、中段は野菜洗い用、下段は鍋釜洗い用、という決まりで、今でも町の人々が組合をつくり生活に使っているそうです。ご覧のようにコップも置かれていて、誰でも飲むことができます。



「宗祇水」と呼ばれる水場で、この地に草庵を結んだ連歌の宗匠・飯尾宗祇が愛飲したことからこの名前がついたとかで、県の史跡文化財で、環境省の全国名水百選にも選定されています。今でも町の人々の大切な生活水として利用されています。



「やなか水の小径」という名前の情緒豊かな水辺の小径で、磨かれた玉石が敷き込まれ、水の流れに変化をつける切り玉石や水飲み場や水の湧き出る石など、通る人の目を楽しませる工夫が凝らされています。



「いがわ小径」という名前の幅1メートルほどの水路沿いの生活道路で、水路は今も洗濯物のすすぎや野菜洗いなどに利用され、地元の人に大切に守られているそうです。透明でゆるやなか流れのなかには、大きな鯉が悠然と泳いでいました。

「洗場組合加入者名」の木札 水路を悠然と泳ぐ鯉の群
 
白川郷はユネスコの世界文化遺産に登録された「合掌造り集落」で、庄川沿いに形成された河岸段丘に点在する3集落がその対象になっています。

今回はその中でも中心的な(?)荻町集落を見学しましたが、例によって滞在時間が限られたためほとんど撮れていません。また、郡上八幡では好天に恵まれたのですが、北上するにつれて雲行きが怪しくなり、白川郷に着く頃には雨が降りだして、カメラを構えるのも難儀するような始末でした。同じ岐阜県でも美濃と飛騨ではまったく気象を異にするのを実感しました。

そんな次第で、今回は辛うじて撮れたなかから3点だけ「参考展示」として掲載させていただきましたのでご笑覧ください。
この他にも、ご当地に関しては、長良川鉄道(旧国鉄越美南線)のことや、御母衣(みぼろ)ダムと荘川桜の物語など、まだまだ書きたいことがたくさんありますが、今回は紙面が尽きたので別の機会に譲ります。