(2008.5.25)


   

 

     

今市(いまいち)で日光街道から分かれた国道121号は、鬼怒川温泉を過ぎる辺りから両側の山が急に険しさを増して迫ってくる。鬼怒川から更に上流の男鹿川に沿って深い谷を遡った道は、県境の山王峠を越えて福島県に入り、阿賀野川の源流である大川に沿って会津若松へと通じている。

このルートは郡山を経由する奥州街道の裏街道として、会津藩主・保科正之により整備されたもので、会津西街道と呼ばれている。かつては、会津藩の参勤交代や江戸廻米のための重要な街道として往来が盛んであったことは、街道筋の町並みや随所に残る遺構から知ることができる。

……と、何やら司馬遼太郎先生の「街道をゆく」を随分と意識した書き出しになってしまいましたが(笑)、今回はその会津西街道の福島県側に名残りの桜を取材してきましたのでご覧いただきます。


……が、その前にこの辺りの鉄道事情について、少しだけ「ウンチク」をお許しください。

会津鉄道は1987(昭和62)年に旧国鉄会津線の西若松〜会津滝ノ原(現、会津高原尾瀬口)57.4キロを引継いで発足したいわゆる「三セク路線」です。

会津線は1934(昭和9)年開通の歴史ある路線ですが、国鉄再建計画のなかで一度は廃線候補に上がりながら、建設が進んでいた野岩(やがん)鉄道と結ぶことで息を吹き返し、現在の姿になりました。

一方、会津滝ノ原以南の30.7キロについては、1966(昭和41)年に国鉄野岩線として着工、国鉄再建計画のなかで一時工事の凍結を余儀なくされましたが、1981(昭和56)年にこちらも三セク路線=野岩鉄道に切り替えて再開し、1986(昭和61)年の開業に漕ぎ着けました。
こうして構想から60余年、ついに会津若松から今市まで鉄道で結ばれましたが、会津鉄道が非電化(会津田島〜会津高原尾瀬口のみ電化)のこともあって、現在も全区間を直通する列車はありません。

ちなみに、野岩鉄道の「野岩」とは、下野国(栃木県)の「野」と岩代国(福島県)の「岩」に由来しています。

(C) N's TOWN

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅 (右の車両には野口英世博士とその母・シカをデザイン)
前置きはこのくらいにして、先ずは会津鉄道の湯野上温泉駅の桜からご覧いただきます。関東地方の桜は、3月22日に開花宣言(東京)が出され、4月の初めにはすっかり散ってしまいましたが、この辺りは些か標高もあるため、4月の下旬にちょうど見頃を迎えていました。


湯野上温泉駅は、南会津郡下郷町という所にあって、1932(昭和7)年に開業した駅です。駅舎はわが国唯一の茅葺き(!)で、待合室には囲炉裏が設えてある、何とも凝った風流な造りの駅です。

郵便ポストも「いい味」を出しています。
駅の構内や周囲には満開の桜が枝を広げていて、山峡の小駅を静かに彩っていました。


中央右側の側線に留置されている黄色い車両は除雪用のロータリー車です。

湯野上温泉駅から車で20分程の所にカタクリの群生地があるので立ち寄ってみました。
上品な薄紫の花がうつむき加減に咲く可憐な姿から「森の妖精」という別名で呼ばれています。

こういう名もない渓流沿いに人知れず咲いている桜というのも何ともいえない味わいがあります。
【オプショナルツアーのご案内】

■ この近くには「大内宿」という宿場町を昔ながらに保存している所があって立ち寄りました。「別冊付録」に収録したので、ご覧になられる方はこちら → をクリックしてください。

■ さらに、この近くには「塔のへつり」という奇岩が連なった景勝地もあって立ち寄りました。「別冊付録2」(笑)に収録したので、ご覧になられる方はこちら → をクリックしてください。


湯野上温泉周辺を切り上げて猪苗代へ回りました。この辺りは「表磐梯」といって、磐梯山の南麓が猪苗代湖へ向かって雄大な裾野を広げています(冒頭の地図を御参照ください)。周辺にはいくつかの桜の名所がありますが、標高があるのと磐梯山から吹き降ろす寒風の影響で(?)、県内でもとくに開花が遅く、4月下旬から5月の連休にかけて見頃を迎えます。
ご覧いただいているのは、JR磐越西線・川桁駅近くの桜で、観音寺川という清流に沿って約150本のソメイヨシノが1キロにわたって植えられています。小さな堰を泡立てながら何段も下る渓流の両岸に桜並木が続く様子は、3月に取材した河津桜を彷彿とさせますが、こちらの方は、未だ観光バスが押し寄せるわけでもなく、地元の人たちを中心に賑わっている隠れた観桜スポットで、いつまでも静かな「穴場」であってほしいと勝手な希望を抱きました。

【オプショナルツアーのご案内(その2)】

■ 猪苗代への途次、会津若松市内にある旧会津藩の「御薬園」に立ち寄りました。「別冊付録3」(!)に収録したので、こちら → をクリックして是非ご覧ください。


最後に表磐梯地区の桜をもう一箇所ご覧いただいてお仕舞いにします。ここは亀ヶ城址公園といって、木の間越しに眺める残雪の磐梯山で有名です。亀ヶ城というのは猪苗代城の別名で、1868(慶応4/明治元)年の戊辰戦争で焼失するまで、会津若松城の出城として東の要を固めていました。ちなみに「亀」ヶ城という名前は、会津若松城の別名である「鶴」ヶ城と一対になっています…、ということを帰ってきてから知りました。
今、桜の名所といわれるところは、どこもかしこも喧騒と雑踏の巷と化し(管理人も当事者の一人ですが…)、ゆっくり立ち止まって観賞することもできない有様ですが、今回周遊した南会津から猪苗代にかけては、隠れた観桜スポットが随所にあって、北国の遅い春を桜とともに堪能することができました。いつまでも、静かな山里であってほしいと願って已みません。