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それでは、南のロウアー・マンハッタン(Lower Manhattan)から順に北上してゆくことにします。
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マンハッタンの開発は、1609(慶長14)年、オランダ東インド会社に雇われた英人ヘンリー・ハドソンによる発見に遡り、その南端にオランダの植民拠点、ニューアムステルダムが建設されたのを嚆矢とします。
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その後、経済の発展に伴って、北へ北へと開発されていきましたが、このあたりはマンハッタンの、ひいてはアメリカの、発祥の地ともいうべき場所で、その遺構はいまも僅かながら見ることができます。
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マンハッタンの南端にあるバッテリー公園(Battery Park)の近くから、リバティ島(自由の女神)やエリス島へ向かうクルーズやフェリーが発着しています。
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今回は港内を巡る遊覧船(60分)に乗船しました。 |
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港を出て西側のハドソン川を少し遡り、ワールドトレードセンターを真横に見るあたりでUターンして南下します。
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マンハッタンはハドソン川とイースト川に挟まれた「島」で、面積は山手線の内側に相当し、1枚の岩盤(!)で構成されているといわれています。
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この建物は、マンハッタンの対岸、ニュージャージー州のセントラル・レイルロード・オブ・ニュージャージーの終着駅です。かつては、内陸部への玄関口として賑わったところで、現在は州立公園として整備され、当時の駅舎が修復/保存されています。
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これは自由の女神があるリバティ島のお隣り、エリス島という小島にある「エリス島移民博物館」です。エリス島には1892(明治25)年から1954(昭和29)年まで移民局が置かれ、その間に約1,700万人の移民がアメリカでの第一歩をここに踏みしめ、マンハッタンや内陸部へと旅立っていきました。
現在のアメリカ国民のおよそ40%にあたる人の祖先は、このエリス島から入国したともいわれ、移民達のゲートウエイとして、アメリカ建国に大きな役割を果たした地ということができます。上陸して見学することもできます。
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自由の女神があるリバティ島は、昨秋のハリケーン「サンディ」による被害の修復のため閉鎖中で、再開は7月4日の予定とのことです。
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東側のイースト川に入り、ブルックリン橋(↑)をくぐり、マンハッタン橋(↓)のあたりまで遡ります。現在、マンハッタンとブルックリンの間には3本の吊り橋が架かっていますが、そのなかでブルックリン橋は最も古く(1883(明治16)年完成)、かつ鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもあります。
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このあたりはウォール街の東にあたり、「ピア17(Pier17)」といって、イースト川に面した桟橋の上に、ショッピングモールやレストランが集まった複合商業施設になっています。 |
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遊覧飛行の乗り場も近くにあって、たくさんのヘリがひっきりなしに離着陸しています。
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これはスタテン島(Staten Island)行きのフェリー(無料)です。途中、リバティ島の前を通過するので、少し遠くからになりますが、船上から自由の女神を望むことができます。2〜3千トン級の大きな船体ですが、狭いターミナルの中へ器用に着けます。
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この一帯がいわゆる「ウォール街」になります。マンハッタンの南部に入植したオランダ人が、インディアンやイギリス人による北方からの攻撃に備えて、このあたりに丸太の防護壁(ウォール)を築いたのがその語源、という話は有名です。かつては、世界の金融・証券の中心として賑わったウォール街ですが、最近はほどんどの金融機関が本部機能を郊外や他州に移したため、往時の面影は薄れつつあるといわれています。
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ニューヨーク証券取引所(NYSE)です。この日は、お馴染みの大きな星条旗が掛かっていませんでした。
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上(↑)の写真は、ニューヨーク証券取引所からすこし南へ下ったところにある、「チャージング・ブル(Charging Bull)」という雄牛のオブジェです。「Bull」というのは、相場の上昇局面におけるアグレッシブな投資行動を意味することから、証券マンの信奉も篤いとか…。
ちなみに、相場の下降/停滞局面における保守的な投資行動は「Bear(熊)」といいます。
更にちなみに、メリルリンチ証券のシンボルマーク(右)も「Bull」です。
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上(↑)の写真は、チャージング・ブルの隣りにある「ボーリング・グリーン(Bowling Green)」という文字通り緑濃い素敵なところで、NYで最古の公園といわれています。
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ここがいわゆる「グラウンド・ゼロ」、かつての(旧)世界貿易センタービル南棟(2
World Trade Center Building、以下WTC)があったところです。
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(旧)1&2WTCの跡地は、2011(平成23)年9月に「9/11MEMORIAL」という名称の国立慰霊施設として保存/整備されました。
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大きくプール状に掘られた窪地へ周囲から滝が流れ落ちる形のモニュメントになっていて、プールの四囲には犠牲者の名前が彫られた銘板があります。 |
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2001/9/11のテロでは、WTCだけで2,603名の方が亡くなられましたが、管理人の友人も2WTCで犠牲になりました。今回、現地を訪れることができ、彼の名前が彫られた銘板の前で、あらためて冥福を祈りました。
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