(2013.6.30)

 

 

前号に続いて、「はじめての東海岸」の後編ということで、ニューヨーク/マンハッタンの様子をご覧いただきます。

今号は枚数が多い(115枚)ため、下(↓)のマンハッタンの地図の[赤枠の地名]をクリックすると、その地点にジャンプできるようにしました。

また、本文の途中にあるのアイコンをクリックすると、下(↓)の地図へ戻ることができます。

もちろん、いままで通り、最初から最後まで順にご覧いただくこともできます。


それでは、南のロウアー・マンハッタン(
Lower Manhattan)から順に北上してゆくことにします。
マンハッタンの開発は、1609(慶長14)年、オランダ東インド会社に雇われた英人ヘンリー・ハドソンによる発見に遡り、その南端にオランダの植民拠点、ニューアムステルダムが建設されたのを嚆矢とします。
その後、経済の発展に伴って、北へ北へと開発されていきましたが、このあたりはマンハッタンの、ひいてはアメリカの、発祥の地ともいうべき場所で、その遺構はいまも僅かながら見ることができます。
マンハッタンの南端にあるバッテリー公園(Battery Park)の近くから、リバティ島(自由の女神)やエリス島へ向かうクルーズやフェリーが発着しています。

今回は港内を巡る遊覧船(60分)に乗船しました。
港を出て西側のハドソン川を少し遡り、ワールドトレードセンターを真横に見るあたりでUターンして南下します。

マンハッタンはハドソン川とイースト川に挟まれた「島」で、面積は山手線の内側に相当し、1枚の岩盤(!)で構成されているといわれています。
この建物は、マンハッタンの対岸、ニュージャージー州のセントラル・レイルロード・オブ・ニュージャージーの終着駅です。かつては、内陸部への玄関口として賑わったところで、現在は州立公園として整備され、当時の駅舎が修復/保存されています。

これは自由の女神があるリバティ島のお隣り、エリス島という小島にある「エリス島移民博物館」です。エリス島には1892(明治25)年から1954(昭和29)年まで移民局が置かれ、その間に約1,700万人の移民がアメリカでの第一歩をここに踏みしめ、マンハッタンや内陸部へと旅立っていきました。

現在のアメリカ国民のおよそ40%にあたる人の祖先は、このエリス島から入国したともいわれ、移民達のゲートウエイとして、アメリカ建国に大きな役割を果たした地ということができます。上陸して見学することもできます。

自由の女神があるリバティ島は、昨秋のハリケーン「サンディ」による被害の修復のため閉鎖中で、再開は7月4日の予定とのことです。
東側のイースト川に入り、ブルックリン橋(↑)をくぐり、マンハッタン橋(↓)のあたりまで遡ります。現在、マンハッタンとブルックリンの間には3本の吊り橋が架かっていますが、そのなかでブルックリン橋は最も古く(1883(明治16)年完成)、かつ鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもあります。
このあたりはウォール街の東にあたり、「ピア17(Pier17)」といって、イースト川に面した桟橋の上に、ショッピングモールやレストランが集まった複合商業施設になっています。
遊覧飛行の乗り場も近くにあって、たくさんのヘリがひっきりなしに離着陸しています。

これはスタテン島(Staten Island)行きのフェリー(無料)です。途中、リバティ島の前を通過するので、少し遠くからになりますが、船上から自由の女神を望むことができます。2〜3千トン級の大きな船体ですが、狭いターミナルの中へ器用に着けます。
この一帯がいわゆる「ウォール街」になります。マンハッタンの南部に入植したオランダ人が、インディアンやイギリス人による北方からの攻撃に備えて、このあたりに丸太の防護壁(ウォール)を築いたのがその語源、という話は有名です。かつては、世界の金融・証券の中心として賑わったウォール街ですが、最近はほどんどの金融機関が本部機能を郊外や他州に移したため、往時の面影は薄れつつあるといわれています。

ニューヨーク証券取引所(NYSE)です。この日は、お馴染みの大きな星条旗が掛かっていませんでした。

上(↑)の写真は、ニューヨーク証券取引所からすこし南へ下ったところにある、「チャージング・ブル(Charging Bull)」という雄牛のオブジェです。「Bull」というのは、相場の上昇局面におけるアグレッシブな投資行動を意味することから、証券マンの信奉も篤いとか…。

ちなみに、相場の下降/停滞局面における保守的な投資行動は「
Bear(熊)」といいます。

更にちなみに、メリルリンチ証券のシンボルマーク(右)も「
Bull」です。
上(↑)の写真は、チャージング・ブルの隣りにある「ボーリング・グリーン(Bowling Green)」という文字通り緑濃い素敵なところで、NYで最古の公園といわれています。
ここがいわゆる「グラウンド・ゼロ」、かつての(旧)世界貿易センタービル南棟(2 World Trade Center Building、以下WTC)があったところです。
(旧)1&2WTCの跡地は、2011(平成23)年9月に「9/11MEMORIAL」という名称の国立慰霊施設として保存/整備されました。
大きくプール状に掘られた窪地へ周囲から滝が流れ落ちる形のモニュメントになっていて、プールの四囲には犠牲者の名前が彫られた銘板があります。
2001/9/11のテロでは、WTCだけで2,603名の方が亡くなられましたが、管理人の友人も2WTCで犠牲になりました。今回、現地を訪れることができ、彼の名前が彫られた銘板の前で、あらためて冥福を祈りました。



Before 9/11 Attack


Rebuilding Plan
現在、一帯は巨大な工事現場の様相を呈していて、6棟の高層ビルが2015(平成27)年の完成を目指して建設中です。このうち、7WTCは既に2006(平成18)年に完成し、最も高い1WTC(541メートル、下の写真)も今年完成の予定です。
このあたりは、マンハッタンの中央部よりやや南寄り、緑多い公園が潤いを与えている一角で、グラマシー(Gramercy)と呼ばれているところです。

写真の建物は、フラットアイアン・ビル(Flatiron Building)という建物です。狭い三角形の敷地に建つ22階建てのビルで、写真手前の鋭角の部分の幅が僅か2メートル(!)という特異な形から、いまでは街のシンボルになっています
近くには、マディソン・スクエア・パークという緑が美しい公園があって、可愛いリスが遊ぶ姿も目にすることができます。ちなみに、リスはアメリカの公園では普通に見かけることができ、ワシントンでも、ニューヨークのセントラルパークでも見かけました。
ここから、マンハッタンの中央部、ミッドタウン(Midtown)です。ミッドタウンの西端、ハドソン川の左岸には遊覧船の乗り場が集まっていますが、その一角の86番桟橋(Pier 86)にイントレピッド海上航空宇宙博物館(Intrepid Sea, Air & Space Museum)があります。

これは、アメリカ海軍で使用されていた航空母艦イントレピッドを桟橋に係留した施設で、空母の内部や艦載機の展示などを行っています。
空母イントレピッド(27,100t)は1943(昭和18)年4月に進水し、1974(昭和49)年3月に退役するまで、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争のすべてに参戦し、前線を戦い抜いて生き抜いた艦船です。ちなみに、「イントレピッド(Intrepid)」とは「大胆不敵で恐れを知らない」という意味です。

この間、艦載機もプロペラ機からジェット機に変遷し、それに応じて何度も改装と換装が繰り返されてきました。また、マーキュリー計画やジェミニ計画では宇宙船の回収母艦を務め、宇宙開発の一翼も担ってきました。
艦内の格納庫(Hangar Deck)には、往年の艦載機や所縁の機材が展示されています。

イントレピッドは1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦、および1945(昭和20)年3月の沖縄攻略戦(日本側名称は、戦艦大和の沖縄特攻で有名な「天一号作戦」)で、特攻機の体当たり攻撃を受け大きな被害を蒙りました。艦内にも「KAMIKAZE Attack」なる展示コーナーがあって、関連の映像が赤色スモークの演出つきで、何度も繰り返し上映されていました。もはや半世紀以上も前の出来事ではありますが、私たちにとってこの種の場所というのは、何とも居心地の悪いものです。

飛行甲板(Flight Deck)には、ジェット機を中心に、新旧の艦載機が展示されています。空母の甲板越しに高層ビル群を眺めるのも不思議な気分です。

艦橋(Bridge)とその周辺も見学することができます。
右手奥(艦尾方向になります)の白い素屋根のような建物は、スペースシャトル(エンタープライズ号)の展示コーナーですが、ここも昨秋のハリケーン「サンディ」で被害を受けて修復中でした。7月10日に公開再開の予定と報じられています。

桟橋上には英国航空のコンコルドが展示されていました。かつては機内も見学できたようですが、現在はメインテナンス中とかで、外から眺めるだけです。
グランド・セントラル駅です。主に、マンハッタンの北方へ向かう路線のターミナル駅になっていて、一日70万人の乗降客が行き来する、マンハッタンで最もグランドでセントラルな駅です(笑)。今年で開業100周年を迎え、来年、同じく100周年を迎える東京駅と姉妹駅になっています。正面奥のガラス窓に「100」の数字が描かれています。
一方、マンハッタンには、ペンシルバニア駅というターミナルもあって、現地在住の日本人の間では「ペンステ」と呼ばれています。ちなみに、グランドセントラル駅は「グラセン」と言うようです。そのペンステには、ロングアイランドやニュージャージー方面へ向かう近郊路線と、長距離のAmtrakが乗り入れていて、一日の乗降客も約60万人と、グラセンと肩を並べています。
グラセンが東京駅で、ペンステが上野駅にあたる、という人もいますが、日本の場合は、東京駅は東海道、上野駅は東北と上信越、新宿駅は中央と方面別に分かれているのに対して、両駅は必ずしもそうではなく、もうすこし調査/研究が必要のようです(笑)。
ちなみに、日本で最も乗降客数が多いのは新宿駅の360万人(!)で、これはギネスブック認定の世界記録です。
ライトアップされた駅舎です。42丁目に面した破風には、旅人の守り神とされるマーキュリーの彫像が鎮座し、足元にある大時計はティファニーが製作した特注品だそうです。

奥の高層ビルはクライスラービルです。
上(↑)の写真は、グランドセントラル駅の前の42nd St.で撮影したマンハッタンの夕陽です。

この日(正確には前日の5/29)は、マンハッタンの東西方向の通りの真向こうに夕陽が沈む日とかで、「マンハッタンヘンジ
(Manhattanhenge)」※と呼ばれて、現地では結構盛り上がっていました。

仕組みはダイヤモンド富士と同じで、夏至を挟んで年2回(次回は7/12)見ることができ、理屈から言うと、逆方向には朝日のマンハッタンヘンジ(こちらは冬至を挟んで年2回)も見られるはずです。

今回は、予備知識なく突然に遭遇し、望遠レンズも持ち合わせていなかったため、よく説明しないと分からない写真になってしまいました。

※ イギリスのストーンヘンジ(Stonehenge、右写真)をもじった造語です。
グランドセントラル駅を抜けてロックフェラーセンターへ向かいます。
このあたりは、冬季には大きなクリスマスツリーが飾られて、スケートリンクが開設されるところです。
今夜のお目当てはGEビルの最上階の更に屋上、70階(地上259.1メートル)にある展望台「Top of the Rock」です。高さならエンパイアステートビルの方が上ですが、こちらは屋外(open air)なので、窓ガラスへの映り込みがないため、写真を撮るにはお薦めです。
左手奥がエンパイアステートビル、正面がBank of America Tower、その右が4Times Square Buildingです。
正面がMet-Life Building(旧PANAMビル)、その奥の尖塔はクライスラービルです。
セントラルパークの南縁(59丁目)以北を一般にアップタウン(Uptown)といいます。計画的に建設された街とはいえ、あの狭いマンハッタン島に、南北4キロもの巨大な公園が存在することが驚異です。
さらにマンハッタンを北上すると、ハーレム川を渡ってブロンクス(Bronx)に入ります。ここにはヤンキー・スタジアムがあって、メッツ戦を観戦しました。
ヤンキース対メッツ戦は日本のセパ交流戦のような対戦で、ともにニューヨークに本拠地を置いていることから、Subway Series(地下鉄シリーズ)と呼ばれて、ヤンキーの方々がひときわヒートアップされるカードだそうです(笑)。

この日は、ヤンキースが5回までに8点も先取される展開のため、途中で引き上げました。
この日ヤンキースは9対4で敗れましたが、イチローは2本の手堅い安打で健闘していました。
先日、6/25(現地時間)、イチローはここヤンキー・スタジアムでのレンジャーズ戦に2番右翼で出場し、3―3の九回2死から、今季第4号、メジャーでは2度目となる、サヨナラHRを放ちました。野球に疎い管理人は、イチローの坊主頭にもビックリしました。

ヤンキース・ミュージアムに展示されている松井氏のサインボールです。

最後にブルックリン(Brooklyn)からの夜景をご覧いただいておしまいにします。ブルックリンは、ロウアー・マンハッタンからイースト川を挟んだ対岸にあたり、とくにマンハッタンに近いエリアを中心に、「ポップでアートな」(笑)ショップやレストランが集まっていて、流行に敏感な人達には目が離せない地域でもあります。

管理人はいたって流行に疎い方ですが、今回は念願の「ブルックリン側から見たマンハッタンの夜景」を撮るべく、かねてから狙いを定めていたマンハッタン橋のたもとの公園へ向かいました。
やはりここは定番のポイントらしく、地元の同好者もたくさん三脚を並べておられました。
この日は幸い好天に恵まれ、日没から夜景に至る一部始終を、約2時間にわたり心ゆくまで撮ることができ、はるばる日本から、かさばる三脚を持っていった甲斐がありました(笑)。

以上で「はじめての東海岸」を終わります。長々ご覧いただき有り難うございました。

前編(ワシントンDC/ナイアガラ)をご覧になる場合はこちら →