(2013.3.10)
網走港をベースに営業している「おーろら」号(491トン)という観光砕氷船で流氷見物に向かいます。この船は観光船とはいいながら、約80pまでの氷を砕きながら進むことができます。 上(↑)の写真は姉妹船の「おーろら2」号(489トン)で、いずれも道東観光開発という会社が運行していて、シーズンには2隻体制でフル稼動です。 ちなみに、「ガリンコ号」(150トン)というのは、もう少し北方の紋別というところで、別の会社が運行している観光砕氷船です。 |
オホーツク海の流氷は、アムール川(黒竜江)から流れ込んだ淡水が凍り、それが海流や風によって順次南下するうちに成長しながら、北海道の沿岸に漂着したものです。 流氷は海面に漂う海氷なので、いったん接岸したら春先まで動かないのではなく、その日の気温、風向、海流などで時々刻々流動します。昨日は接岸していたのに、今日は遥か沖合まで遠ざかっている、ということも珍しくないため、流氷観光は本当に「運任せ」ということになります。 観光船の周遊時間は1時間ほどなので、沖合5〜6kmの範囲にあれば、流氷域の中を航行して見物できます。私たちが訪れた日(2/7)は、流氷が沖合4kmほどにあったので、ぎりぎりセーフでしたが、前日(2/6)はもっと沖合にあったため見られず、翌日(2/8)は接岸したものの荒天のため欠航、といった具合でした。 |
(C) 第一管区海上保安本部 |
暖房完備の船内よりもデッキから間近に見るのが一番迫力があるため、皆さん完全防寒装備でデッキに上がっています。 ちなみに、この「おーろら」号は、夏場はウトロ港をベースに、知床観光船として活躍していて、一年を通じて効率よく稼動しています。右(→)の写真は夏の様子です。 |
流氷の妖精「クリオネ」がデザインされた白灯台を交わして港外に出ます。ちなみに、港外に向かって右側が白灯台、左側が赤灯台です。 |
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このあたりにも、流氷がばらけた氷が漂っています。 |
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大きな流氷を割りながら押しのけて進む、砕氷船らしい様子も見ることができます。 |
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網走沖での流氷クルーズのビデオ(1分半ほどの短編)です。途中、雑音=船内放送が入ってしまっていますがご容赦下さい。 |
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オジロワシ@網走沖流氷上 |
オオハクチョウ@濤沸湖 |
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キタキツネ@濤沸湖 |
エゾシカ@オシンコシンの滝 |
北海道旅行で見かけた野生動物たちです。とくにエゾシカは至るところで「普通に」見かけました。よほど繁殖しているものと思われます。 |
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ウトロの近くにあるオシンコシンの滝です。日本の滝百選にも選ばれていて、名前の由来はアイヌ語で「川下にエゾマツが群生するところ」を意味する「オ・シュンク・ウシ」から転じたもので、「オシン&コシン」ではありません(笑)。 国道のすぐ横にあるため、観光バスがたいてい立ち寄る定番スポットですが、駐車場から急坂を少し上るため、冬の時期は一苦労です。 右(→)の写真は夏の姿です。 |
「SL冬の湿原号」というのは、2000(平成12)年1月からJR北海道が運行しているイベント列車で、釧網線の釧路駅〜標茶駅の区間(川湯温泉駅まで延伸の日もあり)で運転されています。牽引機はC11171若しくはC11207が交替で(ごく稀に、重連運転もあり)仕業についていますが、今冬はC11207が走り装置のトラブルのため、一部の日程はディーゼル機関車による牽引となり、「DL冬の湿原号」として運転されています。 C11171、C11207はJR北海道が動態保存している唯一(唯二?)の蒸気機関車で、どちらも新製から廃車まで、一貫して道内を走り続けた道産子機関車です。とくに、C11171は、標津線(後述)での活躍を最後に1975(昭和50)年に廃車、その後は標茶町の公園で静態保存されていたのを、1999(平成11)年に動体復元したもので、地元標茶との縁が深い機関車です。 C11型蒸気機関車は、線路規格の低いローカル線向けに設計された汎用小型機関車で、1932(昭和7)年から1949(昭和24)年の間に、合計401両も製造されました。C11171は1940(昭和15)年の製造ですから、今年で73歳になりますが、「SL冬の湿原号」はじめ、「SL函館大沼号」や「SLふらの・びえい号」など道内各地のイベント列車の先頭に立って今も元気に走っています。 |
(C) JR北海道 |
釧路駅から到着した列車は標茶駅で折返します。SLは下図の通り3番線を経由して付け替えますが、標茶駅には方向転換のための転車台がないので、釧路駅へ戻るときは機関車のお尻を前にした「逆行運転」になります。 | ||
機関車の隣りに連結されている黒い貨車のような車両は「緩急車」といって、かつては貨物列車の最後部に連結されていた車掌車です。 |
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1968(昭和43)年10月 |
現 在 |
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首都圏というか大都市近郊では、鉄道路線の廃止というのはめったに見かけませんが、北海道のそれは凄まじいものがありました。上の路線図は、ほぼ最盛期の1968(昭和43)年と現在を比較したものですが、札幌近郊や観光地周辺はまだしも、道東や道北においては、見事なまでにきれいサッパリ無くなってしまいました。 こうしたなかで、沿線の観光資源が豊富とはいえ、営業収支ではワースト3に入る釧網線を、今まで存続させてきたJR北海道の努力には敬服します。 |
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釧網線の標茶駅からも、1989(平成元)年までは標津線という支線(上図の青い線で記された路線)が、オホーツク海側の根室標津と太平洋側の厚床を結んでいました。標津線が発着していた標茶駅の3番線に、それを記した標柱(→)が建っています。 また、標津線のほかにも、かつては町営軌道や殖民軌道といった軽便鉄道(上図の赤い線で記された路線)の類が網の目のように張り巡らされて、根釧台地の開発に大きな役割を担いました。 |
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連結されている客車は、車内販売コーナーがある2号車だけが旧型客車ですが、それ以外は冷暖房完備の新型客車なので、SLの煙が車内に侵入してくるようなこともなく快適ですが、管理人的にはちょっと残念(?!)ではあります。 |
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各客車内には昔懐かしい「だるまストーブ」(石炭焚き)が設置されていて、車内で販売されているスルメ(400円)やシシャモ(550円)などを炙って食べながら、一杯やりながら、車窓の雪景色を楽しみながら、といった趣向になっていて、釧路駅へ到着する頃には「出来上がっている」おじさんも見かけました(笑)。 |
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途中の茅沼駅では車窓から優美なタンチョウの姿を見ることができます。茅沼駅では、1964(昭和39)年の水害で餌場を失ったタンチョウに、代々の駅長が餌付けに成功したのがきっかけで、毎年タンチョウが飛来するようになったそうです。この日も全部で7羽のタンチョウを観察することができました。 余談ながら、釧路湿原は釧路駅へ向かって進行右側の車窓に展開するので、もし「SL/DL冬の湿原号」(全車座席指定)に乗車される機会があれば、ぜひ奇数番号の座席を予約されることをお薦めします。 |
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茅沼駅の次の塘路(とうろ)駅では、網走行きの各駅停車を待ち合わせのため6分ほど停車するので、早速下車して撮影しました。青空も広がってきてイイ感じになってきました。 |
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SLの次位に連結された緩急車(車掌車)では、地元ボランティアによるネイチャーガイドが行われていますが、奥の扉を開けたところがデッキになっていて、実は走行中のSLを間近に眺められる「特等席」でもあります。 |
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さっそくその特等席から、舞い上がる雪煙と、降りかかる煤煙のなか、猛烈な音と振動を体感しながら、爆走するC11をカメラに収めました。(相変わらず大袈裟でスミマセンが)走行中のSLを車上から撮ったのは初めてで、年甲斐もなく興奮しました(恥)。 |
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雪原にSLの影を映しながら、釧路駅へ向けてラストスパートです。 |
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「たんちょう釧路空港」のデッキから眺めた夕陽です。 |
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以上で「道東冬景色」を終わります。お天気の予想が難しい時季と地域ですが、幸い好天に恵まれて想定以上の「撮れ高」になり、前編/後編に分けて掲載させていただきました。長々ご覧いただき有り難うございました。 この時期は、中国の春節にあたるため、毎年、中国からの観光客で溢れかえるのですが、今回はまったく見かけませんでした。香港からの家族連れや、個人の旅行者がちらほら、といった程度でした。 新聞等によれば、春節中の中国からの観光客は、個人が前年比2割(8割減)、団体はほぼゼロとのことでした。近年、冬の北海道は中国からの団体客で支えられている、と聞いていたので、関係の方面はさぞかし結構な痛手だと思います。 |
(補記) 今回、私たちは比較的好天に恵まれて、氷雪の世界を「楽しんで」きたオホーツク海の沿岸ですが、3/2の午後から3/3の未明にかけて、猛烈な風雪に見舞われ、9名の方が亡くなられました。あらためて自然の猛威と北辺の厳しい生活を思い知らされた出来事でした。 |
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