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奈良市内、東大寺に近く、今なお天平の佇まいを残す町屋の一角、気をつけないと通り過ぎてしまうくらい簡素な門の奥に、約4千坪の池泉回遊式庭園が静かに拡がっています。
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入口を入ると、満開のヒラドツツジや新緑のモミジが庭園に至る通路の両側を彩ります。
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庭園は前園と後園に分かれていて、前園は元興福寺の別院・摩尼珠院跡地に、奈良晒(さらし)の職人であった清須美道清が江戸時代の寛文128(1673)年に作庭、後園は奈良の豪商であった関藤次郎が明治時代に築いたもので、裏千家十二世又妙斎(ゆうみょうさい)宗室による作庭と伝えられています。その後、庭園は神戸の実業家の手に渡り、現在は同家による財団法人寧楽美術館により維持管理されています。(又妙斎の「妙」の字は、正しくは玄の右に少)
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先ず前園からご覧ください。正面の茅葺きの建物は「三秀亭」という茶室で、作庭当時の建物が現存していて、ここで庭園を眺めながらお食事をいただくことができます。
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後園は、若草山や東大寺南大門などを借景に、池と築山を配した広闊な景観で、箱庭のような前園と絶妙なコントラストを見せています。このように、創始もコンセプトも全く異にする二つの庭園が、背中あわせに並んでいるというのは、あまり他に例をみないスタイルです。
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庭園には春日山原生林(世界遺産)から流れ出す吉城(よしき)川が引き込まれていて、依水園という名前も吉城川の「水」に「依」っているというのがその由来、ともいわれています。
ちなみに、吉城川は春日大社の辺りまでは水谷川と呼ばれ、近くには水谷神社という祠や水谷茶屋という休処もあります。その後、県新公会堂の北を流れる辺りから平地にさしかかり、東大寺南大門前を下る頃には吉城川と名を変え、秋ともなると一帯はイロハモミジの紅葉が見事です(巻頭の地図ご参照)。依水園を潤した後は、しばらく暗渠で市中を潜り、奈良女子大学の北で佐保川に合流し、最終的には大和川を経て大阪湾に注いでいます。
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手吹きの歪んだガラスに映るツツジの築山は油彩画のような味わいがあります。
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依水園の隣、吉城川の細流を挟んで、もうひとつ「吉城園」という庭園があります。こちらも、元興福寺別院の摩尼珠院があったところとされていますが、明治になって民間の手に渡り、1919(大正8)年に現在の建物と庭園が造られ、その後、県の所有となり1989(平成元)年から一般公開(奈良県桜井市の今西酒造グループに運営委託)されています。
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