(2008.8.31)


   

 

   

「おや、他所のHPを開いてしまったかな……」と思われた貴兄、びっくりさせて申し訳ありません。しばらく休刊している間に、ネイチャー(自然)からミリタリー(軍事)に宗旨替えしたわけではないのですが、たまたま陸上自衛隊の演習を見学する機会を得たので、今回はその様子をご覧いただくことにします。

かつて、
N's TOWNでは広島県の江田島にある海上自衛隊第1術科学校をご紹介したこともあり(「桜に錨」 2007-4-8号)、自衛隊レポートの第2弾としてご笑覧願えれば幸いです。

今回取材したのは、陸上自衛隊が毎年この時期に東富士演習場で実施している「富士総合火力演習」というもので、日を限って一般にも公開されています。
東富士演習場は御殿場市、小山町、裾野市にまたがる本州最大(約8,800ヘクタール)の演習場で、なかでも御殿場市は市域の実に1/3(約6,100ヘクタール)が演習場にかかっています。

演習の見学場所は下の写真のような具合で、全国の陸自部隊からの参観者、各国の駐在武官や自衛隊関係企業・団体からの招待客、および一般応募観覧者、あわせて2万〜3万人の見学者であふれかえっています。

今年の一般応募観覧者の当選倍率は平均23.6倍(!)だったとかで、世の中には熱心な陸自ファン(?)が多いものと感心します。
管理人は陸自のことは殆ど知らないので、手元の資料を引用しながら説明させていただきます。この兵器は「203ミリ自走榴弾(りゅうだん)砲」といって、陸自の火砲の中では最大のもので、射程が23〜30キロあるそうです。無誘導の砲弾が30キロも先の標的に当たること自体が素人には信じられません。また、203ミリといえば、かつての大型巡洋艦(重巡)クラスの主砲に匹敵、大艦巨砲主義は今でも健在のようです。
上の写真は203ミリ榴弾砲の発射の様子です。こんなに間近で実弾射撃を見たのは初めての体験なので、その轟音には肝を潰しました。とくに、その音量もさることながら、発射時の衝撃波が観覧席まで伝わってきて、「音というのは波である」という物理の原理をあらためて認識しました。

上の写真は、軽装甲機動車(画面左下)の上部ハッチに位置する射手から「01式軽対戦車誘導弾(超小型ミサイル)」が発射されたところで、標的の発する赤外線を捕捉して自動追尾するそうです。お天気がよければ射線の方向に富士山が見えるのですが、この日はあいにくの空模様で雲が低く垂れこめていました。

上の写真は、「92式地雷原処理車」からロケット弾が発射されたところで、弾体から26個の爆薬が順次引き出されて地雷原に縦一列に落下、同時に爆発して地雷を処理し、幅5メートル長さ200メートルの通路を確保する、という非常にユニークなものです。

これは「90式戦車」といって、陸自で最新鋭の戦車だそうですが、1輌8億円もするため、北海道の北部方面隊と富士学校(富士教導団)にしか配備されていません。戦車が赤旗を上げているのは、これから射撃する車両であることを見学者に示すもので、緑旗は射撃の状態にないことを示しています。他の写真も同様です。
この戦車は、このように高速走行しながら標的を自動追尾して射撃する能力があるそうです。上の写真は観覧席から100〜200メートルほど離れた場所ですが、それでも発射音がお腹にズシンズシン響きます。戦車の中にいる人は一体どうしているのか、他人事ながら心配してしまいます。

上の写真は「74式戦車」で、90式戦車の兄貴分になりますが、今なお機甲戦力の中核的存在として、全国の部隊に展開しています。

ここから陸自航空部隊の写真になります。この双発ヘリは「CH-47J」(愛称:チヌーク)といって、主に輸送機材として運用されています。大規模災害の救難派遣の際にもよく姿を現すので、ニュースなどでご覧になったことがあるかと思います。大きな図体のわりにキビキビと動きます。

積載能力が12トンもあるので、軽装甲車くらいは軽々と懸吊できます。

上の写真は、ヘリから降ろされたロープを伝って地上に降下するところで、ヘリによる局地制圧作戦のハイライトです。

上の写真は「UH-1」という汎用ヘリで、累計生産量16,000機以上を誇るベストセラー機です。初飛行は1956(昭和31)年ですが、今なお各国で現役です。わが国でも、陸自はじめ海保や民間で多用されていて、目にする機会が多い機体です。
とくにベトナム戦争において大量に投入され、実に数千機以上が失われました。ベトナム戦争を扱った映画では必らずと言っていいくらい登場します。上の写真はUH-1から下ろされた偵察用バイク隊が散開するところです。

の写真は「AH-1S」(愛称:コブラ)という対戦車攻撃ヘリで、主な兵装は機首の20ミリ機関砲と機側に吊り下げた対戦車ミサイルです。


自衛隊が発足して早や半世紀、今では西側諸国屈指の装備を誇るまでになり、「国際貢献」の旗の下に海外派遣も常態化しつつありますが、決して近隣諸国に脅威を与えることがないよう、「専守防衛」の旗も高々と掲げてもらいたいという思いを強くしました。