(2006.11.19)


   

 

     

知覧(ちらん)は薩摩半島の南部中央に位置し、町の中心部には整然と並ぶ石垣と端正に手入れされた生垣に囲まれた武家屋敷群が建ち並ぶ一角があって、昭和56年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

「重要伝統的建造物群保存地区」(略称:重伝建地区)のことは、奈良県橿原市の今井町(2006-6-18号)を紹介したときに書いたのでご記憶の方もおられるかと思いますが、
N's TOWNとしては角館(秋田)、佐原(千葉)、川越(埼玉)、白川郷(岐阜)、今井町(奈良)に次いで6番目の重伝建地区になります。

知覧へ行く前に長崎鼻に立ち寄りました。「鼻」というのは「岬」のことで、長崎鼻というのは薩摩半島の最南端にある岬です。海の彼方になだらかな裾野をひくのは開聞岳(標高924メートル)で、その優美な姿かたちから薩摩富士と呼ばれています。
「何々富士」というのは全国にありますが、管理人は開聞岳がもっとも本家に似ていると思います。右肩のコブまで富士山の宝永火口にそっくりです。下の写真のように、岬の灯台から荒磯に下りて、波打ち際まで行くことができます。
黒潮が洗う海岸は一年を通じて温暖な気候に恵まれ、10月というのに道端にハイビスカスが咲いていたりして、いやがうえにも南国情緒をかき立てられます。

ここから、知覧の写真になります。薩摩藩は家臣団を城下(鹿児島)に集結させることなく、「外城」と呼ばれる武家集落を領内の各地に設けて、分散統治に当たらせました。
知覧の武家屋敷群もこうした外城の一つで、現在の町並みは主として18代領主の島津久峯公の治世(230〜250年前)に造られました。その整然とした町並みから「南薩の小京都」と呼ばれています。
イヌマキの大刈込みが圧巻です。
全国に「小京都」を名乗る町はたくさんあって、「全国京都会議(!)」加盟の市町村だけでも50あります。知覧もそのひとつで、歴史的には京都と繋がりもあるようですが、町並みの景観という点では、京都というよりむしろ南国の風情があります。

この感じはどこから来るのかなと思って見渡してみると、当地独特の石垣(城壁のような石垣ではなく、親しみのある石組み)がとかく重苦しくなりがちな武家屋敷に開放的な雰囲気を醸し出して、どこか琉球に連なる趣きを感じさせます。
また、武家屋敷の庭園はいずれも枯山水を中心としたもので、華美に走らず質朴を旨とした薩摩の醇風を今に伝えています。このうち、とくに7つの庭園は「名勝」として国の文化財に指定されていて、見学することができます。(共通拝観券=500円)

上の写真は森氏の庭園で、7庭園のうち唯一の池泉式で、他はすべて枯山水式です。

上の写真は、平山克己家の庭園で、母ヶ岳を借景とし、イヌマキの生垣は母ヶ岳に連なる分脈をかたどっているそうです。

上の写真は、平山亮一家の庭園で、石組みのひとつもない大刈込み一式の庭園です。前面にはサツキの築山、後方にはイヌマキの大刈込み、遠方には母ヶ岳を借景とし、雄大な拡がりを見せています。サツキの花季にはさぞかし見事なことと思われます。

上の写真は、西郷家の庭園で、中央奥に見える石組みが枯山水独特の意匠で、枯滝を表しているそうです。

知覧には、太平洋戦争の末期に旧陸軍の特攻基地がおかれたことから、基地跡に「平和会館」(右写真)が建てられていて、たくさんの見学者で混雑していました。