(2023.7.23)

   

 

群馬県の北西部、山深い谷あいに今は廃線になった旧「太子駅」という遺構があります。太子と書いて「おおし」と読みます。

ちなみに、この場所は吾妻郡六合村(現、中之条町)というところで、六合と書いて「くに」と読みます。難読地名の多いところです。

かつてこの辺りには群馬鉄山と呼ばれる褐鉄鉱の鉱床があり、これを搬出するために日本鋼管(現、JFEスチール)により1945(昭和20)年に敷設された専用線が太子線(太子駅〜長野原駅)で、

太子駅で積み込まれた鉄鉱石は、長野原駅(現、長野原草津口駅)から国鉄長野原線(現、JR吾妻線)に乗り入れ、さらに渋川駅から上越線を経て京浜工業地帯へと輸送されていました。

資料によれば、1952(昭和27)年に太子線は国鉄に移管されて長野原線に編入され、さらに1954(昭和29)年からは旅客営業も行われ、太子駅から高崎駅への直通便も運行されていたとあります。

しかし、その後、資源が枯渇して1966(昭和41)年に閉山、太子線も1971(昭和46)年に廃線となりましたが、現在、太子駅の跡地に残る積み出し施設(ホッパー棟)や、復元された駅舎、旅客ホームなどが2018(平成30)年から一般公開され往時を偲ばせています。


…ということで太子線の歴史をザッとおさらいして(笑)、現地の様子を眺めてみることにします。
国道292号(旧道)脇の狭い谷あいにあります。
駅舎のなかは記念館のようになっていて、当時を偲ぶ写真や鉄道用品が展示されています。
当時の「東京電環」までの運賃が720円、現在の長野原草津口駅から「山手線内」までの運賃が3,080円、現在の物価は当時(昭和30年代)の約20倍(大卒初任給ベース)ですから、鉄道運賃というのは物価の優等生といえますね。


 旧太子駅で使われていた耐火レンガで、NKK(日本鋼管)のネームが入っています。


ホッパー棟が2線、旅客ホームが2線、入換作業用(?)が2線あったことや、構内には選鉱場や焼結工場などもあったことが分かります。

採掘された鉄鉱石は3本の索道(直線距離8km)で太子駅まで運ばれていたとのことです。
当時の搬器が展示されています。搬器1杯で0.5トンの鉱石を運んだとあります。
旧太子駅のシンボルともいうべきホッパー棟は2021(令和3)年に国の登録有形文化財に指定されています。
かつての旅客線には静岡の大井川鐵道などから譲り受けた貨車が展示されていますが、太子線ゆかりの車両も見られると更に雰囲気が出ることと思います。
太子駅の近くには、「六合赤岩地区」という重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)もあり、山村・養蚕集落独特の景観を見ることができますが、あまりの猛暑に恐れをなして(笑)、今回は国道沿いの展望台から眺めるだけにしました。
今では静かに佇むだけの廃線跡や駅舎ですが、知れば知るほど長い歴史と物語があって、とても奥深い味わいがあります。この日も、炎天下にもかかわらず、少なからざる同好の士(?)が来訪されていて、我が意を強くしました(笑)。