(2015.4.12)

 

 

 

房総半島を巡る鉄道については、東京湾側を進む内房線と、太平洋側を進む外房線が、1929(昭和4)年に安房鴨川駅で繋がり、その外縁部を全周する形で完成しました。

一方、半島の内陸部については、比較的早くから軽便鉄道や人車軌道の類はあったものの、本格的な鉄道としては、1930(昭和5)年の木更津から国鉄久留里線、同年の大原から国鉄木原線の営業開始を待たねばなりませんでした。

同じ頃、半島を縦断する路線として計画されたのが今回取材した「小湊鐵道」で、内房線の五井駅から養老川を遡りながら南下し、誕生寺(日蓮宗大本山)で有名な外房の天津小湊(現、鴨川市)へ至る全長約50kmの路線でした。

…でしたというのは、この時期の地方鉄道のご多分に漏れず、全通には至らず、1928(昭和3)年に上総中野駅までの39.1kmは開通したものの、そこから天津小湊までの区間は建設が取り止めとなりました。

この未成区間には、房総半島の南端部を扼する清澄山系が行く手を阻み、当時の技術力や資金力ではこれを穿つことができず、木原線についても同様で、上総中野駅から先は未成区間として残され、今日に至っています。

点線部分が未成区間ですが、ルートは推測(イメージ)です。
当時の地方鉄道には、こうした遠大な(無謀な?)計画が少なくなく、路線免許を申請する方もする方なら、認可する方もする方と苦笑してしまいますが、当然その結末は推して知るべしで、(固有の名前は差し控えますが)それらのほとんどが、消滅や縮小を余儀なくされたなかで、小湊鐵道はよく頑張っていると思います。

これらの区間が計画通り全通していれば、上総中野駅は小湊鐵道と国鉄(
JR)木原線が交差する交通の要衝になっていたはずですが、それぞれが未成区間を残したため、当初の目論見とは異なる相手(笑)と上総中野駅で※接続する格好になり、図らずも半島横断路線を形成する結果となりました。

※ ちなみに、小湊鐵道といすみ鉄道は同じ軌間で、上総中野駅では側線だけが辛うじて繋がっていますが、両鉄道間の直通運転は行われていません。

小湊鐵道も五井駅〜上総牛久駅の区間は、通勤需要があることから、朝夕には1時間に2〜3本の頻度で運行されていますが、そこから先は観光客が中心になるため、ほぼ1〜2時間に1本という閑散ぶりです。

このあたりは五井駅から僅か30km前後の場所ですが、とても首都圏とは思えないほど長閑な里山風景が広がっていて、昭和の面影を残す車両や駅舎が沿線の雰囲気と見事にマッチしているため、CMやドラマや旅番組などの撮影で頻繁に使用されています。


管理人謹吟

車両は旧国鉄のキハ20型をベースに当社が新造したディーゼルカー(キハ200型)ですが、車齢が既に50年を超えるものもあり、懐かしいローカル線には欠かすことができない渋いアイテムです。

このあたりは、地元の方が丹精された菜の花畑がどこまでも広がる一帯で、そのなかを線路がうねる様子は、さながらジオラマを見るようです。



管理人謹吟

まもなく菜の花は刈り取られて田んぼになり、水が張られて田植えの準備が始まります。