(2013.10.6)

 

 

水戸の偕楽園は、9代藩主徳川斉昭公(15代将軍徳川慶喜の父君)により造園され、1842(天保13)年に完成した庭園で、後楽園(岡山)、兼六園(金沢)とともに日本三大名園の一つに数えられています。

偕楽園といえば「春の梅」が有名で、
N's TOWNでも何度か取材していますが、「秋の萩」の名所でもあることを初めて知り、折から「萩まつり」が行われていることを聞いて出かけて参りました。
先ずは本園の南側にひろがる「拡張部」(50ha)というところを散策しました。ここは平成になってから開発された桜川沿いの一角で、幽玄風雅な本園部(14ha)とは別趣の、広闊爽快な開放感あふれるところです。

梅林はもちろんのこと、四季折々の花(この時季はキバナコスモス)が咲き乱れる花壇や、広大な芝生の多目的広場などがあって、ここから遠望する本園部の好文亭(後記)は、管理人お気に入りのアングル(↓)です。
拡張部からJR常磐線を跨ぐ陸橋を渡って本園部へ入ります。線路を見るとどうしても列車を入れて撮りたくなるので2枚ほど紛れ込ませました(笑)。上(↑)の写真の線路のすぐ右側が本園部、道路を挟んだ左手方向が拡張部になります。観梅の時季には、この近くに「偕楽園駅」が開設(ただし下り線のみ)されて特急も臨時停車します。

前置きが長くなりましたが、ここから本題の「萩まつり」になります。偕楽園の萩は、斉昭公が偕楽園の創設にあたり伊達藩から譲り受けて植えられたもので、宮城野萩を中心に白萩、山萩、丸葉萩など、その総数約750株といわれています。

「なぜ萩なのか?」については明らかではありませんが、萩の葉というのは馬の飼料になるとかで、軍馬の糧秣を確保する意味合いもあったといわれていますが、真偽のほどは不明です。

萩は、梅林の隣り、好文亭を望む「見晴広場」を中心に植えられていますが、こんなにたくさん密生しているのに、どうして観梅の時季には眼に止まらなかったのか不思議です。

それにしても、萩というのは葉ばかり繁って花が小さいため、なかなか撮りにくい写材です。
偕楽園の隣りにある常磐神社の能楽殿では、地元の有志の方々による謡曲と舞が披露されていました。ちなみに、常磐神社は、光圀公(2代藩主)と斉昭公(9代藩主)を祭神として、明治の初年に建立された「水戸の聖地」ともいうべき神社です。
この日はちょうど「中秋」にあたり、各流派による野点茶会や特設野外ステージでの管弦の演奏、キャンドルサービスなどが催され、初秋の風情と名月を楽しむ大勢の来園者で遅くまで賑わっていました。
偕楽園の中ほど、千波湖を見下ろす高台に建つ好文亭です。詩歌の会や茶会などを催すために斉昭公自らが設計した木造2層3階建ての建物です。
萩まつりの期間中は、日が落ちると萩や好文亭がライトアップされます。
梅林沿いの通路の両側にも、萩まつりの期間中は行灯が設置されます。写真では白く飛んでしまっていますが、それぞれの行灯には献詠歌会への応募作品が書き込まれています。
背景の満月は合成です。