(2013.5.26)

 

 

長野県松本市から、岐阜県高山市を経由して、福井県福井市まで、東西に貫くのが国道158号です。総延長は250kmほどですが、そのほとんどが急峻な山岳地帯を縫って走るため、国道とは名ばかりの狭路や急カーブの連続で、冬季には積雪や雪崩などにより通行止めが頻発する「酷道」でした。

いま、その国道158号に沿って、「中部縦貫自動車道」の建設が進められています。まだ、ほとんどの区間は、既存の国道158号を通りますが、それでも、長いあいだ隘路となっていたいくつかの峠道は先行して整備され、既に立派なトンネルが開通して、安全に通行することが出来るようになりました。

今回は、その国道158号/中部縦貫道を通って、松本から高山へ向かいました。この区間には、北アルプスの焼岳と乗鞍岳の鞍部を越える安房峠(1,790m)の難所があって、かつては日光のいろは坂も顔負けの九十九折りの急坂で峠をよじ登っていましたが、1997(平成9)年に開通した安房トンネル(4,370m)により、松本と高山の間が通年通行できるようになり、飛騨地方では「第二の夜明け」と祝賀した(ちなみに、「第一の夜明け」は高山本線の開通)とあります。

上(↑)写真は、安房トンネルに続く平湯トンネル(2,430m)の松本側入口で、5月の上旬に取材しましたが、周囲の山々はまだ残雪に覆われたままです。ちなみに、乗鞍スカイラインや、安房峠旧道など周辺の道路も、まだ冬季通行止めのままでした。更にちなみに、この平湯トンネルの標高は1,445mで、トンネルとしては国内最高所を通っています。

高山から、高山清見道路(中部縦貫道の一部)、東海北陸道を通って荘川インターへ、さらに国道156号を北上して御母衣(みぼろ)ダムの湖岸にある「荘川桜」へ向かいます。ちなみに、御母衣ダムに流れ込んでいる川は庄川(しょうがわ)で、ここの地名は荘川(しょうかわ)です。川名は濁って、地名は濁りません。更にちなみに、庄川はこのあとも国道156号に沿って北流し、高岡で日本海に注いでいます。

荘川桜は、御母衣ダムの建設により水没する旧荘川村の寺院(光輪寺と照蓮寺)にあった老桜を、初代電源開発総裁であった高碕達之助氏の発意により、水没移住する住民の心のよりどころとして、1960(昭和35)年11〜12月に、延べ1,000人を投入して、現在の場所まで約1qを搬送し引き上げて移植した、とあります。
終戦直後の我が国は、現在の発展途上諸国と同様、慢性的な電力不足に悩まされていました。このため、電源開発社が中心になって、天竜川水系の佐久間ダム(1956年竣工)を皮切りに、只見川水系の田子倉ダム(1960年竣工)、庄川水系の御母衣ダム(1961年竣工)などを相次いで建設し、戦後復興を電力面から支えたことは、かつて社会の教科書で教わったとおりです。
一方、ダム建設につきものの水没/移転については、御母衣ダムにおいても激しい反対運動が展開され、高碕総裁自らが前面に立って誠実に交渉に臨んだ結果、遂に妥結に至るわけですが、この荘川桜の移植事業は、足掛け7年に及んだ補償交渉終息のモニュメントともいえる、シンボリックなものでもありました。
こうした経緯もあって、この荘川桜は岐阜県の天然記念物に指定されていて、現在でも電源開発社により維持・管理が続けられているほか、老桜の種から育った実生の「二世」を全国各地に植樹する事業も展開されていて、先々号でご覧いただいた皇居千鳥ヶ淵の緑道にも1本(右の写真→)元気に花をつけていました。
さて、「ウンチクはいいが、花はどこに咲いているのか」とのご立腹の貴兄、お叱りはごもっともです。遠目にはよく分かりませんが(笑)、ポツポツと咲いていて、これが今春の「満開」だそうです。「今年はいつになく花芽が少ない」ということがWebで早くから報じられていたので覚悟はしていましたが、想定を越える無残な姿に来場の皆さんも異口同音に「ガッカリ」。
地元の詳しい人によれば、このところほぼ一年おきということで、「ぜひ来年も来て下さい」とのことでした。都会の桜と違って、今春のように4月でも雪が降る厳しい場所で、なおかつ推定樹齢450年の老桜では、毎年満開の花をつけるのは厳しいのかもしれません。ちなみに、右の写真は「満開」のときの様子です。

(C) 荘川観光協会
荘川桜を切り上げて大窪沼というところへ回りました。ここは、白川郷から白山スーパー林道を3qほど入ったところにあり、標高約700メートル、南北520m、東西140mの小さな沼です。ちなみに、白山スーパー林道もこのあたりは通れますが、少し先からはまだ冬季通行止めで、6月中旬(?)の全通へ向けて除雪作業が進んでいます。
上(↑)の写真は、白山スーパー林道から見下ろす鳩谷ダムです。鳩谷ダムは御母衣ダムの直ぐ下流にあります。山裾を巻くように通じている道路が国道156号で、白川郷は画面の左下になります。

満々と水を湛えた大窪沼の向こうには、残雪をいただく白山を望むことができます。写真には写っていませんが、沼の周囲の林間には残雪が膝の高さくらいまで残っていました。

ここは白川郷から車で10分ほど山に入っただけの場所ですが、この日は訪れる人は誰もなく、ウグイスのさえずりだけが聞こえる森の中で、芽吹き始めたばかりの新緑を楽しみながら、静かな水辺を独り占めして堪能することができました。

ここはいわゆる低層湿原で、水芭蕉が群生しています。
折角なので世界遺産「白川郷」にも立ち寄りました。
定番の城山展望台から見下ろす荻町合掌集落です。一番手前のひときわ大きな合掌造りの家が、国の重要文化財に指定されている「和田家住宅」です。
ちなみに、この展望台ですが、帰ってからWebで調べたところ、現場で食堂を営業されている「城山天守閣」というお店の私有地で、公共施設ではないことを知りました。もし、また訪れることがありましたら、次回は食事でもさせていただくことにします。

明善寺の本堂です。浄土真宗の古刹で、本堂は白川村の、庫裏は岐阜県の、それぞれ重要文化財に指定されています。

和田家住宅は住居として現用しながら、その一部を公開されていますが、お家の方(?)の説明によれば、数ある合掌造りのなかで、当家が国の重文に指定されたのは、集落で最大規模の家屋であること、庄屋名主を務め名字帯刀を許されていたこと、特産品の硝石製造の鑑札が与えられていたことの3点によるとのことです。ちなみに、上(↑)の囲炉裏は、一年中ずっと火を絶やさないそうです。
白川郷の特産品が硝石というのは、初めて聞いた興味深い話でした。硝石というのは黒色火薬の原料になるもので、ここでは野草や蚕糞や人尿を地中で発酵させて製造していたそうで、和田家はこれによる現金収入で多大の財を成したとのことでした。

北陸地方一帯は古くから浄土真宗の盛んな土地ですが、和田家にもさすがに荘厳なお仏壇が祀られています。

2階(中2階があるので3階になる?)は広い屋根裏部屋になっていて、昔はここで養蚕が行われていたとのことで、当時使用した道具類が展示してあります。
気持ちの良い風が通り抜ける2階は昼寝にうってつけの場所です(笑)。

ここは白川郷から「一山」越えた高山市清見町大谷地区というところにある西光寺の枝垂れ桜です。「一山」といっても たいへん山深いところで、一般国道(360号)は6月まで冬季通行止めのため、東海北陸自動車道をひと区間(白川郷 → 飛騨清見)利用しました。

ちなみに、この区間にある「飛騨トンネル」は全長10.7kmの長大トンネルで、東海北陸自動車道はこのトンネルの完成により、2008(平成20)年7月にようやく全通しました。更にちなみに、このあたりは我が国有数の山岳地帯のため、4qを超す長大トンネルは珍しくなく、トンネルを抜けると深い谷を高い高架橋で渡るため、さながら天空を駆ける気分です。
この枝垂れ桜は、樹齢800年以上(!)と推定される巨木で、岐阜県の天然記念物に指定されています。ちょうど見頃を迎えていましたが、けっこう山深いところにあるため、混雑することもなく静かに観賞することができました。
これは、西光寺から飛騨清見インターへ出る途中で見かけた枝垂れ桜です。名もない路傍の一本桜ですが、こういう山深いところで眺めると、何ともいえない風情があります。
ここは、高山から国道158号を飛騨清見方面へ車で小一時間ほど行ったところにある、小鳥(おどり)峠(標高1,002m)というところです。画面中央上方に白い車が小さく写っているところが国道です。
国道のすぐ横に約4haの湿性植物群落があって、約5,000株の水芭蕉が群生しています。高山市の天然記念物に指定されていて、ザゼンソウも自生しているそうですが、一足早く花季が終わったのか、今回は見つけられませんでした。


3回にわたって長々とご覧いただきました「春爛漫2013」は今回でおしまいです。有り難うございました。