(2013.4.7)

 

 
今回は、群馬県の前橋にある「臨江閣」という建物を見学したのでご覧いただきます。

臨江閣は1884(明治17)年に貴賓接待所(いわゆる迎賓館)として建てられた木造2階建ての建物で、その後、1910(明治43)年に別館が増築されています。

そもそもは、1878(明治11)年に、明治天皇が北陸東海地方ご視察の途次、前橋に立ち寄られましたが、適当な行在所がなく、前橋の生糸改所(生糸の取引所)の一角を改装して滞在されたことから、当時の県令(知事)が前橋の有志に協力を求め、寄附を募って建築されたとあります。

かつて、生糸はわが国の主要輸出産品でしたが、群馬県はその最大生産地として、明治政府の殖産興業を支え、日本の近代化に大きく貢献しました。群馬県の郷土かるたである「上毛かるた」にも、「け」の札(ふだ)に「県都前橋生糸の市」とうたわれていますが、臨江閣の寄進にあたっても、当時の蚕糸業者や生糸商人の隆盛と気概を窺うことができます。

臨江閣はその名の通り、今も利根の清流を眼下に、浅間/妙義/榛名を遥かに望む景勝の地にあります。現在は、一帯が前橋公園として整備され、市民の憩いの場になっています。正面奥に見える円形の建物は「グリーンドーム前橋」(前橋競輪場)です。

現在は歴史的な建造物として、県(本館と茶室)や市(別館と渡り廊下)の重要文化財に指定されています。終戦直後には臨時市庁舎として使われたこともあり、別館(↑の写真)は今でも中央公民館別館として、市民の文化活動などに利用されています。

茶室「畊堂庵」(こうどうあん)への入口です。2008(平成20)年に茶室の改修工事が竣工したのを記念して、臨江閣の建築を企画した初代県令の楫取素彦(かとり もとひこ)の雅号(畊堂)に因んで命名されました。ちなみに、「畊」は「耕」の異字体です。

本館の一階です。奥から手前に向けて、一の間、次の間、三の間、控えの間と続きます。一の間は天皇行幸の際に皇族方が使われた部屋で、天皇ご本人は2階(↓の写真)に泊まられたそうです。

本館の2階です。手前が「次の間」、御簾の向こう側が「御座所」です。

ちなみに、明治天皇は、1893(明治26)年の利根川機動演習を統監されるため再び前橋へ臨幸され、その際は臨江閣が行在所にあてられました。また、大正天皇(当時、皇太子)も、1902(明治35)年の東北地方ご旅行の途次と、1908(明治41年)の機動演習ご視察の2度にわたって行啓され、いずれも臨江閣に御宿泊されています。

別館2階の大広間で、150畳(舞台を含めると180畳)の広さがあります。中柱が一本も使われていませんが、東日本大震災にも持ち堪えました。また、前橋が産んだ詩人、萩原朔太郎の結婚式もここで行われたとあります。

当時の手延べガラスが今も大切に使われています。

折りから、別館の1階座敷では、由緒ありげな雛飾りがたくさん展示されていました。(←季節外れの写真で申し訳ありません。)
本館車寄せの扁額で、書は楫取県令によるものです。それにしても、昔のエライ人は皆さん本当に字がお上手ですね。

一部は公民館として現用されている施設とはいえ、入場無料で、御座所を含めて立入自由、写真も撮り放題という、今時珍しい大らかさに感心しながら、ほとんど貸切状態で撮影させていただきました。