(2013.1.6)


   

 

 

 

昨秋、11/15〜24にかけて、スペイン・ポルトガルを周遊してきました。

時間も行動も制約のある団体旅行でどこまで撮れるか?という「実験的な部分」もありましたが、幸い好天にも恵まれて、撮影枚数は50GB/1,600枚に上りました。

ようやく写真の整理が一段落したので、今回から3回に分けてご覧いただきますが、なにぶん枚数が多いため、退屈な部分も多々あると思うので、適宜読み飛ばしてください。

全体の行程は右の地図を参照願いますが、今回はそのうちバルセロナからトレドまでの区間をご覧いただくことにします。

それでは、出発しましょう。

現在、成田〜スペインには直行便がないため、どこかで乗り継ぐ必要があります。私たちはフランクフルトで乗り継ぐことになり、成田からルフトハンザドイツ航空を利用しました。機材は総2階建てのA380-800(エアバス社)で、1階が全席エコノミー(420席)、2階がファースト(8席)+ビジネス(98席)、合計526席という超大型機です。

ちなみに、B747-400の後継機といわれるB777-300ER(ボーイング社)が360〜370席ですから、約1.5倍の座席数ということになります。更にちなみに、A380-800は全席エコノミーの場合、最大853席(!)までの設定が可能です。

これらの写真はフランクフルト空港で撮ったものですが、ボーディングブリッジ(搭乗橋)をよくご覧ください。

3本のボーディングブリッジが取り付いていますが、一番奥のは直接2階席へ乗り込めるよう、一段高い位置にセットされています。従来の大型機では、2階への移動は機内の階段を使用していましたが、A380-800は2階だけでも100席以上あるため、スムーズな乗降のため、2階席専用のボーディングブリッジがA380-800就航の必須条件になっています。

このため、成田空港では、第1ターミナルの15番ゲート(エールフランス)、26番ゲート(大韓航空)、45番ゲート(ルフトハンザドイツ航空/シンガポール航空)、46番ゲート(シンガポール航空)、第2ターミナルの66番ゲート(エミレーツ航空)に、2階席専用のボーディングブリッジが装備されています。(  )は利用航空会社です。

また、羽田空港の国際線ターミナルの107番ゲートにも装備されていますが、現時点ではA380-800の就航便はありません。

おっと、こんなところでいきなり「脱線」していては先が思いやられるので、これくらいにして急ぎます(汗)。



成田からフランクフルトまでの飛行時間は約12時間、日本とドイツの時差はマイナス8時間なので、機上の相対時間は4時間進むことになります。成田発が10:25なので、ずっと太陽を真上に見ながらの飛行になります。

ということで、フランクフルトへ14:30に到着。さらにバルセロナ行きに乗り換えて、バルセロナに着いたのが18:30、成田から通算すると、16時間掛かったことになります。

これでも順調にいった方ですが、管理人のように東南アジアばかり往来していた者には、やはり「遠い!」というのが率直な印象です。

機内ビデオ
バルセロナはスペイン北東部、カタルーニャ州の州都で、スペイン第2の都市です。カタルーニャ地方は、地理的にも歴史的にも、古くからマドリッドなどがあるスペイン中央部(カスティーリャ地方)から独立した存在でした。

現在、カタルーニャ州は、バスク州(北部)/ガリシア州(北西部)/アンダルシア州(南部)といったスペイン外縁部の諸州とともに、高度の自治権が認められていますが、カタルーニャ州としては、前述の地理的・歴史的背景からくる自主独立の気風に加え、スペイン経済の牽引役を自負するにもかかわらず、近年の経済危機とこれに伴う緊縮財政により、「割りを食っている」との思いが強く、完全独立を求める声が高まっています。

こうしたなか、11/25には州議会選挙が行われ、管理人が訪問したときは投票日の直前で、街のいたるところにカタルーニャ州旗が掲げられていました。投開票の結果は、スペインからの独立を主張する勢力が全議席の約2/3を獲得しましたが、実際の独立へ向けては、住民投票の実施やEUへの(再)加盟など、中央政府の理解や協力が欠かせないハードルが立ちはだかっており、引き続き曲折が予想されています。



カタルーニャ州旗


スペイン国旗
当地を代表する芸術家といえば、ダリでありミロであり、建築界の鬼才といわれるアントニ・ガウディですが、彼らの作品が醸し出すどこか世紀末的な雰囲気は、当時の時代背景と、こうしたカタルーニャ地方独特の気質から生まれたといえます。

サグラダ・ファミリア教会は、そのガウディの未完の大作で、1984(昭和59)年には、世界遺産に指定されていますが、あまりに有名なので詳しい説明は割愛します。
見どころの一つである「生誕のファサード※」(上の写真)の制作には、日本人彫刻家の外尾悦郎氏も参加されたとのことです。

※ファサードとは、建物の外観を構成する主要な立面のことです。
聖堂の内部は既に完成していて、天空から差し込む光が独特の雰囲気を醸し出しています。

バルセロナの山手にあるグエル公園です。ここは、ガウディが彼のパトロンであったグエル伯爵を施主として造成した住宅地でしたが、あまりにも奇抜な構想とデザインは一般の理解を得られず、事業は失敗に終わったといわれています。

遊園地ならともかく、住宅地としては「些かお遊びが過ぎたのでは…」(管理人)と思いますが、ここも1984(昭和59)年に世界遺産に登録されています。

破砕タイルを使った広場のベンチや、トカゲの噴水などが有名で、この日も多くの観光客や、校外学習とおぼしき児童達で賑わっていました。



バルセロナから海岸線に沿って100kmほど南下したところにあるタラゴナです。ここは、かつてローマの植民地となった町で、ローマ時代に建設されたラス・ファレラス水道橋が、2000(平成12)年に世界遺産に登録されています。
現在、保存部分は217メートルで、最大高は27メートル、幅は約2メートルあり、最近、修復工事が完成したとかで、水道橋の上を歩くことができます。ちなみに、上(↑)の写真に写っている水路の上縁部は、最近補修されたもので、当時のものではありません。
当時のことですから、セメントやモルタルなどは一切使わず、大型の切り石を精密に組み付けてあります。それにしても、ローマ人というのはこうした石造物が本当に得意です。



カタルーニャ地方を後に、マドリッドのあるスペイン中央部へ向けて200qほど西進したところに、クエンカという小さな町があります。ここはフカール川とウエカル川という2つの川が刻んだ巨大な断崖の上に立つ城砦都市です。

ウエカル川に架かるサン・パブロ橋、その向こうに見える建物は、クエンカのパラドール(Parador de Cuenca)です。「パラドール」というのは、かつての古城や領主の館などを改装した国営ホテルで、古き良きスペインの雰囲気を提供しつつ、歴史的建造物の維持・管理にも一役買っています。ちなみに、このパラドールは、16世紀の修道院を改装したものです。

上(↑)の写真はサン・パブロ橋から撮ったもので、右手がパラドール、中央が(よく見えませんが)ウエカル川、左手の崖の上に建ち並んでいるのがクエンカの旧市街です。そして、旧市街の裏側にフカール川が流れていて、ちょうど2本の川に挟まれた細長い断崖の上に旧市街が乗っかっている格好になります。
ここをクリックすると大きなパノラマ写真が見られます。

クエンカを有名にしているのは、その地形もさることながら、崖の上に建つこの家です。いくら狭い崖の上で場所がないとはいえ、ずいぶん際どいところに建っていて、バルコニーは断崖の垂直面より前方に張り出しています。ちなみに、奥の方の平地に見える町並みは、クエンカの新市街です。
ガイドブックなどには「宙吊りの家」と紹介されていますが、(当たり前ですが)家が宙吊りになっているわけではないため、「世界三大ガッカリ」のひとつと酷評されることもあるようですが、現地のガイドによれば、この場所にはかつて同じような「宙吊りの家」が並んでいたが、老朽化により崩落した(!)とのことですから、今こうしてあるのも、宙吊りのようなものかもしれません。
ちなみに、現在、この家は美術館とレストランになっていますが、間違ってもバルコニーへは出たくありません(笑)。

ウエカル川の反対側、フカール川に面した景観です。折りからポプラの黄葉が川岸を彩っていました。

旧市街の中心、マヨ−ル広場で、立派なカテドラルが城塞のように聳えています。
奥に見えるのは、かつての城門で、その上の建物は市庁舎(!)です。
中世の面影が残る旧市街の路地裏です。



この日は、午前中に2つの美術館(プラド美術館と国立ソフィア王妃芸術センター)を見学して、午後からトレドまで往復という、個人旅行では絶対あり得ない、日本人ツアーならではの強行軍の一日で、落ち着いて写真を撮る余裕もありませんでした(笑)。
ご存知「スペイン広場」で、ドン・キホーテの著者であるセルバンテスの記念碑と、その足元には馬に乗ったドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの銅像があり、記念写真を撮る人があとを絶ちません。

白亜の王宮が朝日に輝いて眩いばかりです。現在、国王一家は郊外の宮殿に住まわれているので、公式行事がない日は、一般にも内部が公開されています。
王宮前の広場には、フェリペ4世の騎馬像が、ひときわ辺りを払っています。
ここをクリックすると大きなパノラマ写真が見られます。

プラド美術館も国立ソフィア王妃芸術センターも、館内は当然に撮影禁止なので、写真は外観のみです。いずれも、ゆっくり見れば一日でも足りないところを、人混みに押されながら1時間ほどで駆け抜けるわけで、限られた日程とはいえ、ずいぶんな話です(笑)。
美術館の近傍の様子を何枚か撮って、あとで記憶を手繰る糸口に…。
ここはマドリッドの目抜き通り、グラン・ビア通りにあるレストランです。店先にぶら下がっている気味悪い物体(笑)は、スペイン特産の「生ハム」で、イタリアのプロシュットや中国の金華火腿と並んで、世界三大ハムのひとつといわれる逸品です。
上(↑)の写真ような塊を、薄くスライスしていただきますが、長期間(2〜4年)熟成させた深い味わいは、シットリとしていながら、燻製肉のような風味と、鮭とばのような滋味があり、私たちがふだん口にする生ハムとは、まったく別種のものです。

なかでも最高級品といわれるのは、ドングリの実を食べて育ったイベリコ豚を原料にした「ハモン・イベリコ・デ・ベジョータ(
Jamon iberico de bellota)」で、上(↑)のような骨付き塊(8〜10kg)で、1本10万円近くします。



マドリッドがあるスペイン中央部をカスティーリャ地方といい、バルセロナがある北西部のカタルーニャ地方とは、何かにつけて対抗意識が強いことは先に書いたとおりですが、今回はマドリッドの南方に広がるカスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都、トレドをご覧いただきます。
トレドはタホ川が大きく湾曲する場所に開けた古い城砦都市です。中世にはイスラム教/ユダヤ教/キリスト教の文化が交錯した地で、1561年にフェリペ2世がマドリッドに宮廷を移すまで、トレドが実質的な首都でした。
上(↑)の写真は、トレドの旧市街を一望するビューポイント(Parador de Toledoの下)から撮った写真で、三方をタホ川に囲まれた旧市街や、大聖堂の鐘楼(正面)、アルカサル(右奥、かつての要塞)などが遠望できます。ちなみに、このタホ川はイベリア半島で最も長い(全長1,008km)川で、下流はポルトガルに入ってテージョ川と名前を変え、リスボンで大西洋に注ぎます。
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旧市街は中世の面影を色濃く残していて、迷路のように入り組んだ細い路地を、ガイドを見失わないように、ひたすら歩くので疲れます。1986(昭和61)年には、旧市街全域が「古都トレド」として世界遺産に登録されました。ちなみに、わが国では奈良市が姉妹都市になっています。

トレドの大聖堂は、スペイン・カトリックの総本山で、スペイン最大の規模を誇ります。今回は入場見学する時間がありませんでしたが、鐘楼やファサードの彫刻/彫像だけでも十分見応えがありました。
トレドは金銀象嵌細工が伝統工芸とかで、そういった小物を製造販売しているお店がたくさんあります。また、刀剣類の製造でも古い歴史があり、このお店でもたくさん陳列してありました。よほどたくさんの日本人ツアー客が立ち寄るのでしょうか、日本刀「のようなもの」まで並べてあって(↓)笑ってしまいました。
以上でスペインの前半を終わります。ご覧いただき有り難うございました。
次回はスペインの後半、ラ・マンチャ地方からアンダルシア地方を回ります。
1月20日の更新予定です。是非お立ち寄りください。