(2012.12.2)


   

 


  

現在の岡山県は、旧国名でいうと美作(みまさか)/備前/備中に分かれますが、今回はそのなかの備中地域について、高梁(たかはし)市を中心に周遊してきたのでご覧いただきます。

備中地域は右の地図でも分かるとおり、山陰と山陽とを結び、東西の主要街道も交差する要衝にあるため、中世から戦略上の拠点となってきました。

また古代には、美作/備前/備中に備後(広島県東部)を加えた地域(赤い点線で囲った部分)に、地方国家である「吉備国」が出現し、出雲や筑紫とともに、大和に対する「第三勢力」として、覇を競ったところでもあります。

上(↑)の写真は、雲海に浮かぶ「備中松山城」です。備中松山城は高梁市の背後に聳える臥牛山(487m)に築かれた山城ですが、高梁市は盆地の中を高梁川が貫流する地形のため、秋から冬にかけて冷え込みの厳しい朝には霧が発生し、このように雲海に浮かぶ天空の城を遠望することができます。ちなみに、(備中)松山というのは、廃藩置県までの高梁の旧名です。

8合目までは車で上がれますが、そこから天守まではこのような山道を20分ほど登ります。

備中松山城の歴史は古く、鎌倉時代に砦が築かれたことに始まり、戦国時代には毛利氏の東方進出の前線基地として、その後は徳川幕府の西国統治の拠点として、戦略上の重要性は変わることなく、それにつれて城郭も逐次整備されていきました。
城壁の石組みは、戦国時代の築造を窺わせる武骨な造りです。

石材には石切りの鑿跡も残っています。

急坂を登り詰めると突然視界が開けて、幾重にも重なり合った石垣が見えてきます。
自然の断崖の上に構築された堅固な石垣は圧巻です。「日本のマチュピチュ」(!?)と解説している資料もあります。

かつて大手門があったところで、写真右下に見える一対の擁壁がその名残です。

天守は二層構造の端正な構えですが、天然の巨石を櫓台にした姿は、山城ならではの風格があります。
この天守と、二重櫓、土塀の一部が国の重要文化財に登録されているほか、城跡全体が国の史跡に指定されています。

天守の内部(1階)です。

天守2階の梁組みの様子です。

現在、江戸時代またはそれ以前に建築された天守で現存しているものが全国で12城ありますが、そのうち山城はこの備中松山城のみです。
備中松山城も明治の廃城令で取り壊されることになりましたが、山城のため莫大な取り壊し費用が掛かることから、難を逃れたという逸話が残っています。



後半は、同じ高梁市の成羽町にある「吹屋(ふきや)」という集落です。
ここは、高梁市街から車で小一時間ほどの標高550mの山あいにある集落で、かつて銅鉱山とその副産物であるベンガラという顔料で栄えたところです。

独特の赤みを帯びた石州瓦とベンガラ格子の町並みは、1977(昭和52)年に国の重要伝統的建造物群保存地区(いわゆる、重伝建地区)に選定されています。

人里離れた山中に忽然と姿を現す重厚な商家の家並みは、当時の繁栄振りを今に伝えています。
これは「(旧)吹屋小学校」で、明治の後期に建築された木造校舎です。児童数の減少により、今年(2012年)の3月で廃校になりましたが、それまでは日本最古の現役小学校校舎として、岡山県の重要文化財に指定されています。
建物は吹屋の絶頂期に建設されたことから、厳選された用材と凝った意匠など、当時の木造洋風建築の粋を結集したものになっています。
一世紀を超す風雪に曝され耐えてきた木壁には年輪が浮き出て、何ともいえない威厳と温もりが感じられます。
これは銅鉱山経営とベンガラ製造で巨大な財を成した「広兼邸」で、城郭と見紛う壮大な石垣のうえに、豪邸と庭園がひろがっています。
ここは、映画「八つ墓村」(横溝正史原作)のロケにも使われたことがあり、今にも金田一耕助がひょっこり現れそうな佇まいです。
お城の石垣より立派(!)な石組みです。

ここは離れ座敷で、この部分のみ大正時代の建築です。

蔵の内部に展示されている屏風や調度品です。一番手前の円筒形の什器は、外居(ほかい……難読ぅ!)といって、もともとは戦や布教などで他所へ移動する際、この中に食物や身の回りの品を入れて運んだのが始まりとされていますが、近世になると祭りや婚礼などの慶事に儀礼的な意味合いで使用されるようになったもので、「ほっかい」とも読み、「行器」とも書きます。当時の富豪・豪農の「必須アイテム」でした。

現在は、すべて岡山県に寄附され、近隣の施設とともに「吹屋ふるさと村」として整備・公開されています。
中国地方は今までに広島や呉など何箇所かは取り上げましたが、N's TOWNにとっては実質「空白地帯」でした。今回は現地に詳しい方の手引きを得て、空白地帯のど真ん中へ、何の予備知識もなく、いきなり分け入った格好になりましたが、調べれば調べるほど、古い歴史と豊かな文化に彩られたとても奥深いところで、もっとそのあたりのことをあらかじめ頭に入れておけば、備中松山城も吹屋集落も、もう少し違った見方や撮り方ができたかと…。


(津山市の南、久米郡美咲町にある棚田で、「日本の棚田百選」にも選ばれています)