(2012.8.26)


   

 

 

  

群馬県には「上毛かるた」という郷土かるたがあって、「つ」の札(ふだ)は「つる舞う形の群馬県」といいます。

群馬県の形を、ちょうど鶴が南北(上下)に羽根を広げて、首を東(右)へ向けて飛んでいるふうに見立てたものです。

その左翼にあたる部分を、「利根・沼田地域」と総称し、気象警報・注意報の発令区分になっているので、天気予報などで耳にされたことがあるかと思います。

沼田市、利根郡みなかみ町、(同)川場村、(同)昭和村、(同)片品村の、1市1町3村が対象になります。

この辺りは、群馬県の県北になり、冬場には上越国境を越えてきた雪雲がまとまった雪を降らせ、谷川連峰直下のみなかみ町では、1〜2メートルの積雪も珍しくありません。

しかし、前橋や高崎まで南下してくると、標高も下がって気温も上昇するため、水蒸気は大気中に吸収拡散されて、空は抜けるような冬晴れとなります。
冬場、上越新幹線に乗っていると、僅か30分ほどの間で、雪空から冬晴れへドラマチックに変化するのを体験できます。それでは、どのあたりが雪空と冬晴れの境界か?ですが、管理人の経験では、沼田から渋川あたりがその境目かと思います。

このあたりは、赤城山と榛名山/子持山に挟まれたボトルネックのような地形になっていて、水上から下ってきた寒気もここで堰き止められ、ここからは上州名物の「空っ風」となって、関東平野へ吹き出すことになります。

…と、いつまでも脱線しているとお叱りを受けるので、早々に本編へ戻ることにします。今回はその沼田市の北部にある玉原(たんばら)高原へ行って参りました。
ここは、標高が1,300〜1,400メートルあって、当然に冬は雪が積もるためスキー場が開設されています。東急リゾートサービスが「たんばらスキーパーク」というのを運営していて、都心から2時間という足場の良さを売り物にしています。
このスキー場の、夏期営業が今回取材した「たんばらラベンダーパーク」です。スキー場が夏場は観光花園へ変身するのは各地で見られ、先日ご覧いただいた日光霧降高原や霧ヶ峰車山高原も「元祖」夏期営業のようなものですが、管理人の見るところ花園といってもほとんどが「ユリ園」(ニッコウキスゲもユリ科)で、「ラベンダー園」というのはここぐらいではないでしょうか。

またまた余談ですが、ユリ園が多いのは、ユリは宿根草のため毎年植え替える必要がないこと、寒暖に強くあまり手が掛からないこと、華があって集客力が強いこと(←これは管理人の私見)、というのがN's TOWNの見解(笑)です。

ラベンダーは一つひとつの花房が小さくて淡い色調のため、ある程度密集しないとなかなか絵になりません。

ラベンダーといえば、北海道富良野のそれが有名で、果てしなく広がる丘陵を彩る紫の絨毯…、とは較べるべくもありませんが、林間のゲレンデに群生するラベンダーというのも、これはこれで別趣の景観といえます。

植栽されたものの他にも、様々な野草が自生しています。上(↑)の写真は、ヤナギランです。

このあたりは、もともとブナの原生林だったところで、今でもこうしてブナの巨樹を見ることができます。

思いがけず名残のニッコウキスゲも撮り押さえることができました(笑)。


ここから先は【付録】です。
玉原高原の近く、沼田市のお隣に(利根郡)川場村というところがあります。山あいに開けた静かな田園地帯、といった趣のところですが、その川場村に「ホテルSL」というのがあって、D51が動態保存されているので、ついでに立ち寄ってみました。
そもそもは1977(昭和52)年にD51+寝台客車6両を、敷地内に敷設した線路に据えて、文字通りSLホテルとして開業しました。ここまでは各地で見かける(た)SLホテルと同じです。その後、客車が経年劣化により荒廃したため、2003(平成15)年までに全車解体され、ホテルは敷地内の通常の建物(上(↑)の写真の左側の建物)で営業されることになりました。ここまでも各地でよくある話です。

ひとり残されたD51の命運も尽きたかに思われたのですが、D51自体の保存状態が予想以上に良かったことや、線路長が150メートルあったこと、などが幸いして動態保存の気運が高まり、2006(平成18)年12月に修復・改造が完成し、30年振りに勇壮な汽笛を轟かせました。

運転室もキレイにレストアされ、「現役機」ならではの存在感があります。

ただし、蒸気で動かすにはボイラー回りを中心に様々な法令の壁があるため、蒸気の代わりに炭水車に積んだ大型エンジンコンプレサーから供給される高圧空気で動きます。

蒸気機関車ならぬ「空気機関車」というわけですが、その他の機構は蒸気機関車と同じように動作し、音も振動も蒸気機関車と変わらない迫力があります。

右(→)の写真の、炭水車の上に少し頭を覗かせている緑色の物体が、エンジンコンプレッサーです。

煙突からの煙は「演出効果」で、火室(通常は石炭を燃やすところ)で薪を焚いているとのことです。

週末や夏休みを中心に「営業運転」が行われていて、連結された車掌車に体験乗車(大人500円)することができ、記念の切符(しかも昔懐かしい「硬券」)が発券されます。
この機関車(D51561)は、1940(昭和15)年に旧国鉄苗穂工場で落成、函館機関区に新製配置されてから、1976(昭和51)年に滝川機関区で廃車になるまで、一貫して北海道内を走り続けた根っからの道産子SLで、今年で72歳になります。
D51のような本線級のSLを、鉄道会社でもない一民間企業が、こうして動態保存しているというのは、唯一にして無二ではないでしょうか。

各地の公園に静態保存されている機関車は、その多くが朽ちるにまかせているのにくらべ、国鉄OBのスタッフに大切にされ、子供達の歓声に包まれて、自然豊かなこの地で余生を送るD51561は本当に幸せ者です。


(あと書き) 危惧したことではありますが(笑)、付録と本編が逆転した感が無きにしも非ず、ご容赦願います。