(2012.8.5)
右の地図をご覧ください。長野県のほぼ中央を東西に横たわる山塊が蓼科/霧ヶ峰で、東側の八ヶ岳方向から順番に「蓼科エリア」 → 「霧ヶ峰エリア」 → 「美ヶ原エリア」と連なって西側の松本方向に至ります。平均標高は1,600メートルで、若干のアップダウンはあるものの、全体が草原に覆われて360度のパノラマをほしいままにできます。 今回取材した霧ヶ峰は、車山(1,925メートル)を主峰とする溶岩台地で、四季折々の高山植物が草原に咲き乱れ、訪れる人を魅了して已みません。 なかでも梅雨明けを待っていたように咲き乱れるニッコウキスゲはその白眉で、緩やかにうねる丘陵を埋め尽くす明るい黄色は高原の夏になくてはならない彩りを添えます。 |
まず、車山山頂から下った車山肩(1,817メートル)に車をおいて、周辺を散策しました。「肩」というのは、山岳地形の名称で、なだらかに続いていた尾根筋が急傾斜に変わるところを指します。人間の体をイメージするとよく分かりますが、首から頭にかけて急に立ち上がっている部位を肩というように、山頂へ向けて登りにかかる辺りのことをいいます。 |
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車山肩は、車山山頂/霧ヶ峰/八島ヶ原湿原、どこへ行くにも便利な位置にあり、霧ヶ峰ハイキングの拠点になっています。このため、さして広くない駐車場を目がけて両方向から車が殺到し、ハイシーズンの週末には、駐車場からあふれた車が、ビーナスラインに長い列をつくります。この日は平日でしたが、それでもご覧のようにほぼ満車状態です。 |
お昼前からは霧も晴れて、念願の青空が顔を見せてくれました。やはり、ニッコウキスゲの深い黄色は、初夏の青空と白雲をバックに撮りたいものです。 |
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管理人は、過去にも2002(平成14)年と2009(平成21)年の2回、ニッコウキスゲを求めて霧ヶ峰を訪れています。今回いちばん驚いたのは、(話には聞いていましたが)鹿による深刻な食害です。下(↓)の写真は、車山肩にある「ビーナスの丘」と呼ばれる群生地で、左側が2002年、右側が今回です。 |
10年前の2002年は、ニッコウキスゲの当たり年(?)で、かつ好天に恵まれたため、さながら「天上の花園」といった景観でしたが、今や当時の面影は偲ぶべくもありません。僅か3年前の2009年と較べても、その惨状は目に余るものがあります。ちなみに、2009年は2日間粘っても霧が晴れず、ほとんど撮れずに退散しましたが、それでも花は余程たくさん咲いていました。下(↓)の写真は、ビーナスラインの沿道で、左側が2009年、右側が今回です。 |
現在、ニッコウキスゲのあるところは、電気柵(内側)とロープ柵(外側)で厳重にガードされているため、これらが邪魔になって撮影し難いことこのうえなしです。逆に言うと、柵のある場所にしか花が咲いていないというべき状況で、これでは花壇の花を観賞しているようで興醒めです。もう少し景観にも配慮した方法はないものかと思います。 |
上(↑)の写真は、山頂付近の斜面からビーナスラインを見下ろす場所ですが、ここもかつてはニッコウキスゲの群落が見られました。左側が2002年、右側が今回です。 |
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車山山頂から麓の車山高原まで、涼しい風に吹かれながら歩いて下ります。眼下に白樺湖、その向こうに(雲が懸かっていますが)蓼科山(2,530メートル)を一望することができます。 |
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上(↑)の写真は、車山乗越(のっこし)という所で、車山と蝶々深山の鞍部のような場所です。ちょうど、林間学校の団体が差し掛かるところです。 |
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霧ヶ峰を後にして、近くの女神湖と蓼科牧場へ立ち寄りました。女神湖も普段は静かな別荘地ですが、この時期ばかりは、林間学校の生徒達で賑わっていました。 |
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車山は霧ヶ峰の主峰として、深田久弥の「日本百名山」(新潮社刊)にリストアップされています。以下にその一部を掲載させていただきますが、今も変わらない草原の開放感と、今や変わりつつある植生の様子を読み取ることができ、とても興味深いものがあります。 |
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妙な言い方だが、山には、登る山と遊ぶ山とがある。(中略) まだ戦争の始まらない頃、私は霧ヶ峰で一夏を過ごし、遊ぶ山の楽しさを十分に味わった。(中略) 霧ヶ峰の最高峰は車山である。それも骨の折れる山ではなく、緩やかな斜面をのんびり登っていくうちに、いつか三角点に達するといった風である。(中略) 車山の裾は、どこまでも果てしないと思われるほど、広い広い草地が伸びていて、その中に踏跡らしいものが幾筋もついていた。(中略) 夏の高原は、背丈ほどもあるシシウドの白い花と、ニッコウキスゲの橙色で覆われた。私は外へ出る毎にさまざまの花を摘んできて、それを植物図鑑で確かめるのを楽しみにしていた。 | ||