(2012.6.10)


   

 

 

  

佐倉市は千葉県の北部、印旛沼の南に拡がる人口17万人の都市で、江戸時代から城下町として栄えた歴史あるところです。

佐倉藩は代々、老中や大老となる幕閣の中心人物が入封した重要な藩で、明治に入ると佐倉城趾に歩兵第57連隊(通称、佐倉連隊)が置かれるなど、今も当時をしのぶ遺構を市内の随所に見ることができます。

ちなみに、佐倉連隊は太平洋戦争の末期、ソ満国境からフィリピンのレイテ島へ転戦し、圧倒的な戦力差のなかで米軍と死闘を繰りひろげ、ほぼ全滅しています。
県立佐倉高校の旧本館で、県内の高校では唯一の明治の洋風建築校舎として、当時の姿をほぼそのまま残しています。現在は記念館として、国の登録有形文化財に指定されています。

佐倉高校は、1792(寛政4)年に藩校「佐倉藩学問所」として創設された伝統ある高等学校で、読売ジャイアンツ終身名誉監督の長嶋茂雄氏も佐倉高校の出身です。

街道筋には往時の佇まいそのままの商店も見ることができます。

1843(天保14)年、佐倉藩主の堀田正睦が招いた蘭医の佐藤泰然が開いた医院兼蘭学塾が佐倉順天堂で、ここから明治時代の医学界を支えた人材が多数輩出されました。現在は記念館として、県の指定史跡になっています。
上の写真は当時の医院の受付を復元したものです。ちなみに、現在の順天堂大学は、泰然の養子の佐藤尚中が開設したものです。

最後の佐倉藩主、堀田正倫(まさとも)の邸宅で、国の重要文化財に指定されています。

当時の武家屋敷の一部が復元されて公開されています。

コンロンコク(崑崙黒)というツバキで、上の写真のように、咲き始めは花芯に大きく尖った宝珠を作ります。

佐倉城趾の一角に、国立歴史民俗博物館(通称、歴博)があって、古代から近代に至る歴史と文化が、復元模型やジオラマを活用して、分かりやすく展示されています。

「民俗」というのは、「私たちの日常生活に関するもの」と理解しますが、こうしたその時代を物語る品々もたくさん展示されていて、丁寧に見学すれば、一日中いても足りないくらいです。