群馬県と新潟県を隔てる上越国境には、谷川岳を主峰とする谷川連峰が大きく立ちはだかっている。山々の標高は2,000m前後とさほど高くはないが、信濃川水系と利根川水系を分ける中央分水嶺にあるため、日本海側と太平洋側の空気がぶつかり合い、豪雨・豪雪・雪崩などで激しく浸食された急峻な峰々が、長いあいだ人々の往来に難渋を強いてきた。
…と、司馬遼太郎先生の「街道をゆく」を思いっ切り意識した書き出しになってしまいました(笑)。
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古来、上越国境を越えるルートは、月夜野で利根川と別れて支流の赤谷川を遡り三国峠を越えるルートと、利根川をそのまま遡り清水峠を越えるルートがありました。このうち、三国峠ルートは現在の国道17号が通っているルートで、(関越自動車道は別にして)今でも群馬と新潟を結ぶ唯一の一般道として盛んな往来があります。
ちなみに、1985(昭和60)年に開通した関越道の関越トンネルは、およそ11kmに及ぶ長大トンネルのため、危険物積載車両の通行が禁止されているので、これらの車両は月夜野IC/湯沢ICで国道17号に下りて三国峠を越える必要があります。 |
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一方、清水峠を越えるルートは、(三国峠ルートより早く)明治時代に馬車通行が可能な国道として改修・整備されましたが、当時の技術では厳しい自然環境(とくに、冬季の雪崩)に立ち向かう術もなく、開通から僅か10年足らずで廃道同然となってしまいました。
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その後、清水峠ルートは、1970(昭和45)年に国道291号(前橋市〜柏崎市)として再指定されましたが、既に1957(昭和32)年に三国峠を越える国道17号が開通していたことや、関越道の計画も進んでいたことから、清水峠部分の改修は行われないまま現在に至っています。
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それでは国道291号の清水峠部分は現在どうなっているのかというと、群馬県側は利根川の支流の湯桧曽(ゆびそ)川を遡った「谷川岳一の倉沢出合い」というところまで自動車で入れますが、そこから先は「登山道」になって清水峠まで続いています。(下の写真に写っている林道のような道路がそれです。)
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登山道ですから、地形図などでは点線で表示されていますが、法令上はれっきとした国道であることから、俗に「点線国道」(!)とか「登山国道」とか呼ばれていて、こうした区間を好んで踏破するマニアもおられるようです。ちなみに、清水峠の新潟県側は荒廃が激しく、全体が深い藪に覆われて、もはや道路の痕跡を見つけることすら困難と言われています。
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「谷川岳一の倉沢出合いまで自動車で入れる」と書きましたが、6月〜11月初の期間はマイカー規制が実施されているため、3qほど手前の谷川岳ロープウエイ駅から徒歩になります。片道約1時間の行程ですが、お陰で車に気兼ねすることなくゆっくりと散策することができます。
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今年は例年に較べて紅葉前線が山を下るのが早く、一の倉沢周辺では既にピークを10日ほど過ぎていました。ミズナラやブナの木々に残った黄葉を中心に、それらしい景色を探してみましたが如何でしょうか…。
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一の倉沢への途中にあるマチガ沢というところに、ひときわ大きな岩が道端にせり出しています。谷川岳の岩壁は、このように積み重なった岩層が手前に向けて下がっている「逆層」が多く、手や足を掛けにくいことが、登攀を難しくしているといわれています。
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あいにく、一の倉沢にはガスが懸かって、残念ながら岩壁の威容を望むことができませんでした。
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一の倉沢の散策を済ませて水上駅まで戻り、「SLみなかみ号」を取材しました。
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「SLみなかみ号」はJR東日本・高崎支社が、週末/祝日を中心に、高崎〜水上間で運行している、蒸気機関車牽引のイベント列車(臨時快速)です。イベント列車といっても、1988(昭和63)年の運転開始ですから、もう20年以上の歴史があります。
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現在の牽引機はD51形とC61形蒸気機関車ですが、この辺りのことを書き出すと、果てしなく脱線するに違いないので、別の機会に譲ることにします。
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