(2009.10.11)


   

 

   

江東区から中央区、港区、品川区にかけての沖合は古くから埋め立てが盛んに行われ、今回ご覧いただく「お台場地区」もそうした埋め立て地のひとつです。江戸末期に建設された「お台場」=海上砲台(群)が間近にあるため、その跡地と勘違いされますが、そうではありません。

今回ご紹介するお台場地区は、東京港の浚渫残土で埋め立てたもので、かつては13号埋立地という味も素っ気もない名前でしたが、東京都が臨海副都心として開発を進め、1996(平成8)年にはその一部が港区台場として住居表示されたことなどから、お台場という名前が定着しました。

「お台場」というと、東京ビッグサイトなどの大型展示場や、パレットタウンなどの複合アミューズメント施設が思い浮かびますが、新しく造成した土地だけあって随所に広大な公園が整備されていて、無機質な人工空間に季節感と潤いを与えています。

上の写真は、東京国際交流館の近くにある西プロムナード公園で、キバナコスモスが満開を迎えています。正面を横切っているのは、臨海副都心と新橋を結ぶ新交通「ゆりかもめ」です。

上のビルはフジテレビ湾岸スタジオ、正面奥のビルはテレコムセンターで、テレコムセンターの上あたりに羽田空港へ進入する日航機が写っています。この日のように、南風が卓越している場合は、木更津方向から北進してきて、いったん空港の東側を航過し、お台場の上空でほぼ180度左旋回して、空港の北側から南向きに着陸します(右図ご参照)。久しぶりのウンチクで失礼しました。 
公園のなかほどに小高い丘があって、パンパスグラスが群生しています。ススキに似ていますが、南米大陸の草原を原産とする外来種で、高さ2〜3mまで大きく成長し、垂直に立ち上がった茎に長さ50〜70cmの羽毛のような花穂をつけます。背後の建物はフジテレビの本社ビルです。

近くにはクリの木もあって、既に立派な実を結んでいます。

お台場と対岸の芝浦埠頭を結んでいるレインボーブリッジ(橋長798m)です。2階建てになっていて、上層には首都高11号台場線、下層には一般道(都道482号線)と「ゆりかもめ」が通っています。下層には歩道もあって歩いて渡ることができます。

レインボーブリッジ周辺のパノラマ写真はこちらをクリックしてご覧ください →
この辺りは「お台場海浜公園」といって、夜間には照明に映えるレインボーブリッジの撮影スポットでもあります。また、人工海浜も整備されていて、一昔前まではここが貯木場だったとは信じられません。
この辺りは「東八潮緑道公園」といって、近くには日本船舶振興会が運営する「船の科学館」があり、隣接する桟橋には初代南極観測船の「宗谷」(4,100トン)と、元青函連絡船の「羊蹄丸」(8,300トン)が係留展示されています。

1988(昭和63)年3月13日、JR津軽海峡線(青函トンネル)の開通により、連絡船は80年の歴史に幕を閉じましたが、函館発の上り最終便(第22便)として運航したのが羊蹄丸(宗谷の向こう側)です。ちなみに、青森発の下り最終便(第7便)は八甲田丸が運航しました。またまた、ウンチク・脱線で失礼しました。上空には羽田空港へ向けて旋回/降下中の日航機が見えます。

船内には青函連絡船が運航していた当時の青森埠頭の様子を再現したコーナー(上の写真)があって、昭和30年代にタイムスリップしたような感覚になります。

右の写真は今号をご覧いただいた方から拝借した羊蹄丸の船内スタンプです。青函連絡船の黄金時代ともいうべき昭和40年の日付が記された貴重なものです。

ちなみに、輸送人員のピークは1973(昭和48)年で、毎日30往復(!)が運航され、年間499万人を運びました。また、この年の8月5日には、上り下り合わせて53,640人という「コースレコード」も記録しています。

更に、ちなみに、現在では羽田〜新千歳間に毎日50便が運航されていて、2006(平成18)年には年間輸送人員が1,000万人を突破し、世界最大の幹線空路になりました。

最後に「おまけ」をひとつ。アニメファンの方はよくご存知と思いますが、お台場の「潮風公園」に機動戦士ガンダムの等身大立像(約18メートル)が制作され、夏休み期間中は多くの観客で賑わいました。取材の日には囲いが巡らされて、既に解体の準備が始まっていましたが、辛うじてカメラに収めることができました。



例によって、ウンチクと脱線の連続で、当初の主題=コスモスはいつの間にか雲散して、最後はガンダム(!)になってしまいましたが(笑)、都心の水辺の様子をご覧いただいたということにしてご容赦願います。