(2006.12.10)


   

 

     

今市(いまいち)で日光街道から分かれた国道121号は、鬼怒川温泉を過ぎる辺りから両側の山が急に険しさを増して迫ってくる。鬼怒川から更に上流の男鹿川に沿って深い谷を遡った道は、県境の山王峠を越えて福島県に入り、阿賀野川の源流である大川に沿って会津若松へと通じている。

このルートは郡山を経由する奥州街道の裏街道として、会津藩主・保科正之により整備されたもので、会津西街道と呼ばれている。かつては、会津藩の参勤交代や江戸廻米のための重要な街道として往来が盛んであったことは、街道筋の町並みや随所に残る遺構から知ることができる。

……と、何やら司馬遼太郎先生の「街道をゆく」を随分と意識した書き出しになってしまいましたが(笑)、今回はその会津西街道の栃木県側にあたる鬼怒川と男鹿川の源流部に、紅葉を取材してきましたのでご覧いただきます。


ちょっとその前に「霧降の滝」に立ち寄りました。この滝は華厳滝、裏見滝とならんで日光三名瀑に数えられています。
このあたりは霧降高原の南面にあたり、地形と気流の関係かと思いますが、いつ来てもカラッと晴れたことがありません。この日もしばらく粘ってみましたが、ついに雲が切れることはありませんでした。

上滝(落差45メートル)と下滝(同40メートル)の2段になって紅葉の中を落ちていますが、観瀑台から遠望するしかないため、全景はどうしてもインパクトに欠けるので、4枚の写真を縦に合成して「掛軸風」(!)にしてみました。
このあたりは鬼怒川の上流部になりますが、紅葉より黄葉が目立ちます。

ここから男鹿川渓谷の写真になります。日光・鬼怒川は紅葉シーズンともなると大変な混雑ですが、更にその奥の男鹿川まで足を伸ばす人は少なく、何とも「渋い紅葉」が渓谷を静かに彩っていました。
上の写真は山王峠の近くにある不動滝で落差7メートルの小さな滝です。この辺りは標高が750メートル程あるため、既に紅葉のピークは1週間ほど過ぎていました。
これらの写真は更に下った中三依(なかみより)地区の紅葉で、ここはちょうど紅葉の見頃を迎えていました。
鄙びたロケーションにピッタリの実に「渋い!」紅葉です。
谷あいは陽の翳るのが早いため、この時期は午後2時を過ぎるともう落陽との競争ですが、残照に映える紅葉というのも、何とも味わい深いものがあって、晩秋の彩りには欠くことができません。
下の写真は、五十里(…と書いて、「いかり」と読みます)ダムを渡る野岩(やがん)鉄道です。野岩鉄道は、会津西街道に沿って栃木県と福島県を結ぶ第三セクター方式の鉄道会社で、1986年(昭和61年)に開通しました。現在、栃木側は東武鬼怒川線と、福島側は会津鉄道(旧、国鉄会津線)会津線と、それぞれ相互乗り入れをしています。社名の「野岩」は、下野国(栃木県)の「野」と岩代国(福島県)の「岩」に由来しています。