(2006.4.30)


   

 

    

前号では都心の桜をご覧いただきましたが、今回は郊外に足を伸ばして、筑波山麓に名残りの桜を追いかけてきました。

この辺りには隠れた撮影スポットもたくさんあるのですが、なかなか分かりにくい「地味」なところ(地元の方、ゴメンナサイ)なので、詳しい場所の解説は端折らせていただきます。
下の写真は常総市(旧、水海道市(みつかいどうし))にある「弘経寺(ぐぎょうじ)」というお寺で、応永21年(1414年)創建の浄土宗の古刹です。ここには徳川家康の孫娘・千姫の御廟があり、毎年4月には「千姫祭り」というのが催されて、千姫に扮した女性を載せた山車が市中をパレードします。

千姫についてのウンチクを少々お付き合いください。千姫は2代将軍秀忠の長女で、7歳で従兄弟の豊臣秀頼に嫁ぎ(千姫の母と秀頼の母は姉妹)、秀頼が大阪夏の陣で自害(千姫19歳)の後、桑名城主本田忠政の長男忠刻(後に姫路城主)と再婚し一男一女をもうけたが、嫡子幸千代は3歳で病没、忠刻も千姫30歳のときに病死、一女勝姫を連れて失意のうちに江戸城へ戻った千姫は落飾して「天樹院」と号して余生を送り、70歳で波乱の生涯を閉じました。「天樹院」の号を授けたのも当寺の中興上人である10世了学上人で、千姫自身も菩提寺を当寺と定めていたため、その遺志をうけて東京小石川の伝通院から分骨された遺骨が当寺の御廟に祀られています。また、上記の所縁から姫路においても千姫ゆかりの行事が種々催されていると聞きます。一粒種となった勝姫は11歳で鳥取城主(後に岡山城主)の池田光政に嫁いでいます。

このように由緒あるお寺で、境内のいたる所に葵の御紋(下の写真の瓦にも…)を見かけますが、本堂の傷みがひどく、(外からは見えませんが)内陣の向かって左半分は雨漏りのためブルーシートがかけられて「立ち入り禁止」の札が掛かり、御本尊も別棟の座敷に避難されている有様で、咲き誇る桜だけが往時の寺勢を今に伝えていました。

前号の「桜花爛漫」でも靖国神社での野点の様子をご覧いただきましたが、桜に野点は付き物(?)のようで、ここでもご婦人方が野点を催されていました。

ここから雨引観音になります。ここは弘経寺よりさらに栃木県との県境に近い筑波山北麓にあり、少し山中に分け入る趣があります。雨引山楽法寺といって、1400年の歴史をもつ名刹で、嵯峨天皇の御世に大旱魃が襲った際、当寺において勅願による雨乞祈願を厳修のところ、見事降雨があったことから「雨引山」の山号が授けられたとあります。現在では安産・子育てのご利益で有名で、取材した日もお宮参りの参詣者をたくさん見かけました。

10万坪の境内に3千本の桜が咲き乱れて、「坂東吉野」とも呼ばれています。ちなみに、坂東(ばんどう)というのは関東地方の古称です。とくに桜の樹々越しに筑波峰を遠望するのは、都心の桜とは別趣の風情があります。