(2006.4.16)


   

 

    

皇居を二重に取り囲むお堀は江戸城の貴重な遺構ですが、外堀のほうは道路の建設等でほとんどが埋められてしまい、赤坂見附や市谷付近に僅かに残った水面に往時の面影を偲ぶのみですが、内堀のほうは皇居の外縁にあたるため、ほぼ原型をどどめていて、都心に彩りと潤いを添えています。

その内堀の一部である千鳥ヶ淵をまずご覧いただきます。ここは千鳥ヶ淵に沿って三番町から九段上まで続く約1キロの緑道で、千代田区によって管理され整備されています。

江戸城を真上から見ると、時計の10時から12時にかけての方角にあたります。
千鳥ヶ淵は桜木の規模や密度もさることながら、その風格において他所の追随を許さない都心屈指の観桜スポットです。お堀に枝を垂れた桜と対岸の北の丸公園の桜が、妍を競うように咲き誇り響き合う様子は、さながら交響曲を聴く趣があります。(ちょっと大袈裟ですが…)
それだけに人出も半端ではなく、狭い緑道は「ところてん式」に押し出される人の波で、立ち止まることもままならない有様です。管理人は少し早めの時間帯に半蔵門から九段方向へ「逆走」したので、渋滞が始まる前に撤収できましたが、引き上げる頃には最寄駅(地下鉄東西線・九段下)から長蛇の列(右の写真)でした。


奥に見えるのが半蔵門です。昔この辺りに伊賀忍者・服部半蔵の屋敷があったことに由来していますが、数ある皇居の御門のなかでも、両陛下のお住まい(吹上御所)に最も近い門のため、普段は固く閉ざされ皇宮警察が厳重に警備しているので、カメラを向けるのも憚られるような雰囲気があります。


半蔵濠に面したこの辺りは公園になっているので、皆さん早朝から花見の場所取りに余念がありません。左下の写真は「新入社員(?)が独り留守を守る」といった昔ながらの慎ましいスタイルですが、右下の写真のように広大な敷地を占拠して社名まで掲出するといった「地上げスタイル」(笑)のものもありました。
この写真は半蔵濠越しに赤坂方面を撮ったものです。議事堂の左手の洒落たビルはJTビルです。
ここから千鳥ヶ淵になります。この写真は千鳥ヶ淵戦没者墓苑の前から首都高速都心環状線の北の丸トンネル方面を撮ったものです。
この辺りから千鳥ヶ淵緑道のハイライトです。ボート乗り場も延々長蛇の列です。「♪春のうららの〜」で始まる小学唱歌「春」のなかに、「櫂(かい)の滴も花と散る…」という一節がありますが、まさにその景色です。
千鳥ヶ淵が大変な混雑になってきたので、切り上げて田安門へ向かいました。田安門は現存する御門のなかでは最古のもので、九段方向から北の丸公園や武道館へ向かう入口にあたります。門前の桜も見事ですが、門の両側に切り込んでいるお堀へ枝垂れている桜の風情は言葉になりません。
下の写真は田安門の西側で、千鳥ヶ淵の行き止まりにあたります。ボートから見上げる桜もさぞかし見事なことと思われます。
下の写真は田安門の東側にある牛ヶ渕で、堀を埋め尽くす桜のボリュームに息が詰まりそうです。この写真が(管理人としては)今回のイチオシです。
九段まで来て靖国神社を素通りできないのでお邪魔しました。靖国神社というとどうしても堅苦しい印象がありますが、外苑では宴会もOKで、大勢の花見客で賑わっていました。

もちろん管理人も参拝させていただきましたが、今回はアジアの諸外国に配慮して(?!)、「私人」として参拝させていただきました。

…というのは冗談ですが、各地の護国神社の頂点に位置する靖国神社というのは、(同じ神社でも)伊勢神宮を頂点とする系統とは別種のものだな、という気がします。(…というくらいで止めておきます。)
靖国神社の内苑にもたくさんの桜があって、東京地方の桜の開花宣言の判定に使われている「基準木」も拝殿の横にあります。また、それぞれの桜には右のような札が下がっていたりして、いやがうえにも靖国神社の雰囲気を醸し出しています。
拝殿前の広場では野点が催されていて、着物姿の外人(中央の男性)が神妙な面持ちでお茶をいただいていました。
靖国神社を辞して、法政大学の裏を抜け、外堀通りへ出ました。JRでいうと飯田橋と市ヶ谷の間です。冒頭にも書いたとおり、外堀はほとんど埋め立てられて、お堀の面影を残しているのは、こことホテルニューオータニの近くの弁慶堀くらいです。

外堀通り沿いに見事な桜並木が並んでいて、この時期はJRの車窓からも花見をすることができます。
最後に文京区小石川の「播磨坂」というところを訪れました。茗荷谷から春日通りを南に向かって歩くと、左に曲がる幅の広い下り坂の道路がありますが、これが通称「播磨坂」とよばれている所で、約500メートルにわたって道路の両側と中央分離帯に約150本の桜が植えられています。

ここは戦後の都市整備で計画された「環状3号線」の一部で、片側3車線の立派な道路に挟まれた中央分離帯には遊歩道まで整備されて地域の方々の憩いの場になっていますが、残念ながら前後の区間が未整備のため、環状線としては計画から60年経った今も未完成のままです。
ここはかつて松平播磨守の上屋敷があったことから「播磨坂」と呼ばれるようになったそうで、坂の桜並木は戦後間もない頃から地元の人たちにより植樹され育成されて今日の姿になったとのことです。近くには小石川植物園や旧、東京教育大学(現、筑波大学)、御茶ノ水女子大学などが集まる恵まれた環境の文教地区です。