(2005.10.2)


   

     

   

かつて、朝鮮半島北部から中国東北部にかけて、高句麗(こうくり)という国が存在したことは、世界史の授業で聞いた記憶があるとか思います。最終的には西暦668年に唐と新羅の連合軍に滅ぼされてしまいますが、高句麗の遺民(亡命者)は日本各地に多数渡来して多様な文化を伝えました。

今回ご紹介する巾着田がある埼玉県日高市もそうした渡来地のひとつで、716年(奈良時代)に駿河など7ヶ国に居住していた高句麗の遺民1,799人をこの地に移したのが最初で、かつては埼玉県高麗郡(こまぐん)高麗村と呼ばれていました。

その旧高麗郡を西から東へ横断するように流れる高麗川が、西武池袋線の「高麗駅」付近で大きく蛇行する一帯を「巾着田」と呼んでいます。これは流路がギリシャ文字のΩ(オメガ)をひっくり返したように屈曲していて、上空から見ると巾着の形に似ていることから、その名がついたといわれています。

彼岸花は当初は田んぼの畦などに自生していたものと思われますが、その後、地元自治体などの手によって移植・整備され、今では高麗川畔(=巾着田の外周部)に大群落を形成するに至りました。

花季はその名の通りお彼岸の頃ですが、今年は残暑が厳しかったため開花が遅れ気味で、前回(3年前)取材したした時の方が花の付きは見事でした。……と、いうことで前回の様子が気になる方は[バックナンバー]をご覧下さい(笑)。


こういう白い種類の彼岸花もあります。
最後に、現地へ行かれる方へアドバイスを。ここはもともと田んぼだったため、(雨天はもちろん)雨上がりなどの場合は、大変なぬかるみになるので、長靴を準備されることを強くお奨めします。