(2005.-3.13)


   

 

  




福井県は今庄町と敦賀市を隔てる木の芽峠(標高628m)を境として南北に分かれ、それぞれ嶺北地方・嶺南地方と呼ばれています。

「越前」は嶺北地方のことを指し、嶺南地方は「若狭」になります。今回はその越前を周遊してきましたので「越前冬景色」としてご紹介します。今回もウンチク満載てんこ盛りでご覧いただきます。

余談ながら、JR北陸本線の北陸トンネル(13.87q)は、この木ノ芽峠の直下を抜けています。さらに余談ながら、昭和47年に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまでは日本最長でした。また、在来線では、(青函トンネルを別格とすれば)現在でも日本最長です。(早くも、ウンチク暴走!)

福井は旧松平32万石の城下町で、養浩館は、かつての福井城本丸の外濠に面した要地(JR福井駅から徒歩15分)にある藩主・松平家の別邸です。庭園は「回遊式林泉庭園」と呼ばれる典型的な大名庭園で、舟遊びのできる広大な園池を中心に、要所に築山・入江・岬・岩島・飛石・枯流れ・滝石組、石橋や休憩・鑑賞用の小亭「清廉」などが配され、変化に富みながら気品に溢れた表情を醸し出しています。

また、優美な書院は藩の迎賓館として使われるなど、福井の華やかな文化を反映してきましたが、昭和20年7月19日の福井大空襲で焼失し、その後、庭園・建物の整備・復元が進められ、平成5年初夏、約半世紀ぶりに美しい佇まいが蘇りました。



越前沖で捕れる雄のズワイガニを「越前ガニ」と呼んでいます。山陰から丹後にかけて水揚げされる「松葉ガニ」と同じ種類ですが、暖流と寒流がせめぎ合う越前沖で育ったカニは、繊維が細くて甘味がありとても滑らかな味わいで、皇室にも献上品として用達されているそうです。地元の人に言わせれば、「甘さが違う、みそが違う、格が違う」と大変な鼻息です。ちなみに、雌ガニはセイコガニといって、大きさも小振りで値段もずっとお手頃になります。
地元では「越前ガニ」のブランドをとても大事にしていて、カニの足に正規の越前ガニであることを示す黄色のタグ(右写真ご参照)がつけてあり、タグの裏面には水揚げ港の名前(三国・越前・敦賀)が記されています。もちろん越前産であってもセイコガニや水ガニにはつきません。

なお、松葉ガニも同様のタグをつけていて、こちらは緑色だそうです。(ヘェ〜)

タグといえば中国の上海ガニも蘇州市郊外の陽澄湖で養殖されたものだけが本物とされるそうで、こちらも生産地や出荷番号を記した黄色いタグ(右写真ご参照)を甲羅に背負わせて出自を明らかにしているのですが、それでも陽澄湖で生産される100倍もの数の偽上海ガニが出回って後を絶たないため、今後は甲羅にレーザービームで刻印するそうです。偽物天国の中国ではカニも大変です。(ヘェ〜ヘェ〜)

(注) 「ヘェ〜」の意味がよく分からないひとは、毎週水曜日午後9時からのフジテレビ(関西の方は関西テレビ)をご覧ください。


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大本山永平寺は鎌倉時代の寛元2年(1244年)、道元禅師の開基になる出家参禅の道場で、山号を吉祥山(きちじょうざん)といい、曹洞宗の大本山として、年間100万人近い参詣人で賑わう北陸有数の巨刹です。余談ながら、曹洞宗にはもう一つ大本山があって、横浜・鶴見の総持寺がそれです。(10ヘェ〜)
さらに余談ながら、駒沢大学も曹洞宗の仏教学校を前身とする大学です。(満ヘェ〜)
約10万坪の寺域は三方を山に囲まれた深山幽谷にあり、樹齢700年といわれる老杉が聳える山内には、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。禅宗建築では、山門、仏殿、法堂(はっとう)、僧堂、庫院(くいん)、浴室、東司(とうす=お手洗い)を七堂伽藍と呼びます。浴室やお手洗いや庫院といった生活関連施設が七堂伽藍に列しているのは、行住坐臥すべてが禅であり修行であるとする道元禅師の教えに由来します。



拝観料(大人500円)を払って中に入ると、先ず吉祥閣(きちじょうかく)と呼ばれる研修道場の大広間で僧侶より全山の概要や参観の心得を聞いてから見学に向かいます。吉祥閣を出て最初の建物が傘松閣で、160畳敷の大広間の天井には昭和初期の画家によって230枚の花鳥図が描かれています。
廊下の左側が僧堂(別名、雲堂)と呼ばれる修行僧の根本道場で、坐禅・食事・就寝などが行われる大切な場所です。「起きて半畳、寝て一畳」の世界をぜひ見学したかったのですが、ちょうど修行中のため堂内への立入りが叶いませんでした。右側のビニールの覆いは、降雪から建物を護る雪囲いです。



仏殿は寺院の本堂にあたる建物で、七堂伽藍の中心に位置し、正面に立派な須弥壇(しゅみだん)が設けられ、その中央に本尊・釈迦牟尼仏が安置されています。欄間には12枚の彫刻が嵌め込まれていて禅門の古則公案が図案化されている…、そうです。



堂宇を結ぶ回廊の廊下は修行僧によってツルツルに磨き上げられていて、(修行僧でなくても)素足で歩いてみたい気持ちになります。禅寺では掃除も「作務(さむ)」といって大切な修行の一部だそうで、山内のどこにもチリひとつありません。この清浄な回廊こそが永平寺そのものではないでしょうか。今回の見学で一番強く印象に残りました。



七堂伽藍のひとつである庫院で、一般の寺院の庫裡にあたります。地下1階地上4階の豪壮な建物で、典座寮(てんぞりょう=厨房)、副寺寮(ふうすりょう=会計)、直歳寮(しっすりょう=営繕)、知庫寮(ちこりょう=倉庫)、瑞雲閣(宿泊・接待所)などが入っています。



上の写真は山門から見た参道です。参道は右に折れて唐門(勅使門)へ続いています。山門は永平寺最古の建物で中国唐様式のどっしりとした楼閣門です。ちなみに、山門を自由に出入りできるのは貫首猊下だけで、修行僧も入山時と下山時の2回しかくぐれません。わたしたち見学者が出入りするのは通用口(下の写真)になります。



水音のたえずして御佛(みほとけ)とあり (山頭火)

山門脇の巨大な水盤で、正面の寺紋は久我龍胆(こがりんどう)です。漂泊の俳人として知られる種田山頭火も曹洞宗の禅僧で、昭和11年7月に永平寺を訪れ、参籠を許されて5日間滞在し、「永平寺3句」と呼ばれる句作を残しています。山頭火54歳、没年の4年前の夏でした。永平寺川沿いの境内に句碑があると聞いていましたが見つけられませんでした。




老杉の奥に見える門が唐門(勅使門)です。この門は永平寺貫首の普山(就任)と皇室からの勅使が上山する際だけ開かれるそうで、扉には菊のご紋章が掲げられています。唐門の先は山門へ続く参道になっています。



正面奥の建物は永平寺の瑠璃聖宝閣という宝物殿です。手前は門前の土産物店で、ごま豆腐、永平寺みそ、永平寺そば、すりこぎ羊羹、など看板の林立している品々が定番のお土産です。



この建物はかつての京福電鉄の永平寺駅です。京福電鉄は福井から勝山へ向かう越前本線で平成12年12月と平成13年6月に、半年の間に2度も列車衝突事故を起こし、合わせて53名の死傷者を出すという前代未聞の事態となりました。その後、全線で列車の運行が停止され、しばらくはバスによる代行輸送が行われていましたが、第3セクターにより「えちぜん鉄道」として再出発することになり、車両や保安設備を更新して、平成15年7月から順次列車運行が再開されました。しかし、永平寺口から永平寺に至る永平寺線(6.2q)については、ついに列車の運行が再開されることなく、77年の歴史に幕を閉じてバス路線に転換されました。かつての駅舎はそのままバスの切符売り場として利用されていて、かつてのホームも当時のまま雪に埋もれていました。