(2004.4.25)


   

 浜離宮庭園

 

1590年(天正18年)、徳川家康が豊臣秀吉に関東移封を命じられた頃の江戸は現在の皇居前あたりまで海が入り込んでいて「日比谷入江」と呼ばれていました。田町、日比谷、霞ヶ関周辺は海面下にあり、日本橋から有楽町にかけては一面の砂州が拡がっていたといわれています。


世界貿易センタービル(浜松町)から見た浜離宮
現在の浜離宮がある場所も寛永年間(1624〜1644年)までは海浜の葦原で、将軍家の鷹狩場として使用されていましたが、1654年(承応3年)に4代将軍家綱の弟である甲府宰相松平綱重が、下賜されたこの地に甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てたのが庭園としての始まりです。

その後、綱重の子が6代将軍家宣となったのを機に将軍家のものとなり、11代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治維新の後は皇室の離宮となって「浜離宮」と称され、戦後は東京都に所管が移り昭和21年4月から一般に公開されて現在に至っています。



例によって、写真をクリックすると大きい画像が見られます。

江戸時代の代表的な大名庭園で、「回遊式潮入築山泉水庭園」(長〜い!)といって、海水を引き入れた「潮入りの池」が特徴です。上空にはカモメの舞う姿も見られ、海辺の公園ならではの何とも言えない開放感に思わず深呼吸したくなります。
八重桜の一種である「サトザクラ」というのが4月中旬頃まで園内を彩ります。サトザクラ(里桜)とは、古くから関東地方に自生していたオオシマザクラに、他のサクラが自然交雑したり人為的な交配で生まれた品種で、浜離宮でも70本ほどが潮入の池の周囲を中心に多彩な花と姿で咲き競っています。
潮入りの池には中島があって、「お伝い橋」と呼ばれる洒落た橋で岸と結ばれています。中島には「中島の御茶屋」と呼ばれる東屋があって、風趣に富んだ姿を水面に映しています。かつては眺めもよくて、遙か海の彼方に房総を望みながら、夕涼みや月見に使われたとあります。
現在では再開発された汐留のビル街(シオサイト)をバックに、大都会東京ならではの新しい景観を見せています。現在の御茶屋は昭和58年に再建されたもので、抹茶をいただくことができます(季節の和菓子がついて500円)。
サトザクラが見頃を迎える時期に園内のライトアップ(今年は4月9日〜18日)が行われます。ライトアップは夏にも行われているようですが、照明の数やレイアウトもなかなか本格的で、昼間とは別趣の幻想的な世界を堪能することができました。
最後に、レインボーブリッジの夜景を撮りに芝浦埠頭まで足を伸ばしました。首都高速を芝浦からお台場方向へ向かう時は、いきなりレインボーブリッジに差しかかるので気がつかないと思いますが、新交通ゆりかもめや一般道は芝浦埠頭の沖合にあるループ橋を時計回りに270度回ってから橋梁部分へ上ってゆく構造になっています。 この写真はそのループ橋を見上げる位置から撮ったものですが、ここは品川埠頭寄りの防潮堤を乗り越えないと行けない場所で、傍目にはどう見ても夜陰に乗じて密入国を企てる不審者そのものだったことと思います。(汗)