(2002.-1.20)

写 真 館

凱風快晴


「新年に相応しい素材といえばやはり富士山の右に出るものはない」と信じて疑わない管理人はさっそく本年最初の取材に静岡へ行って参りました。昨年は「初秋の富士五湖」と題して甲斐側から見た富士山をご覧いただきましたので、今回は駿河側からの表富士といった趣向です。


美保の松原
表富士といえば葛飾北斎の最高傑作である赤富士(今回のHPの表紙に掲出)の印象が強烈です。斬新な構図と大胆な色使い、何度見ても新鮮な感銘を受けるこの作品の題名=「凱風(がいふう)快晴」を今回の写真館のタイトルに拝借しました。

凱風とは五月の風の意味だそうですが、取材当日(12日)は快晴ながら3月を思わせる陽気のため、富士山の稜線も靄に霞んでスッキリせず、北斎の赤富士図のように「爽快な薫風が吹く青空を背景に天高く聳える富士山」というわけにはいきませんでした。


印のついた写真は旧作ですので悪しからず。

西伊豆から駿河湾越しに見る富士山です。画面中央に半島のように見えているのは、駿河湾を北上する沿岸流が大小の砂礫を運んで作った砂嘴(さし)で先端が大瀬崎です。
上の写真の中央に白い大瀬崎灯台が小さく見えるかと思いますが、その灯台下の海岸で撮った写真です。正面右手が沼津市・左手が富士市の方向になります。
(この写真は年賀状にも使用しましたので、既にご覧いただいた方もおられるかと思います。
)
大瀬崎から戸田(へた)方向へ崖っぷちの道を5キロほど南下すると駿河湾越しに富士山を遠望できる景勝地に出ます。眼下の井田集落はわずかに開けた平地に数十軒の民家(民宿)が肩を寄せ合い、当時(約15年前)はちょっと「秘境」のような趣がありました。
下りの新幹線に乗ると新富士駅を出てほどなく富士川を渡りますが、冬場の好天時には右側の車窓に冠雪をいただいた富士山を眺めることができます。上りの場合は蒲原(かんばら)トンネルを抜けたとたん富士山が視界に飛び込んできます(上りは左側車窓)。その場所がここですが、今日は陽気が良すぎて裾野は霞の中に隠れて見えません。(うーむ、残念…)
日本平から清水へ下る道路の左右に拡がる茶畑。季節外れのため、みずみずしい緑の絨毯は見られませんでしたが、綺麗に刈り込まれた茶畑の向こうに富士山が顔をのぞかせて、いかにも「駿河の国」といった感じです。
歌川(安藤)広重が東海道五十三次で由比(ゆい)を描いたのが右上の絵でご存じの方も多いと思います。東海道のこの辺りは身延方面からの山塊が駿河湾に落ち込む所で古くから交通の難所でした。現在も(海側から)東名高速・国道1号線・JR東海道線(在来線)が崖下の狭い場所にひしめいています。旧東海道はこの崖っぷちを巻くように通じていて、写真の場所はその峠にあたる薩垂(さった)峠という所です。ここは広重の絵と同じ場所で、海抜100メートル弱の高さですが、駿河湾を手前にして富士山の秀麗な姿がひときわ冴える海道屈指の景勝地です。右下の写真は道路を行く自動車のライトをアクセントに、夕暮れ直後の残照が残る富士山を狙ってみました。

(お断り:薩垂峠の「垂」は正しくは「土偏に垂」と書きますが、インターネットでは正しく表示されない(多分)ので「垂」の字で代用しました)